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主题

微微导航 洛杉矶
日本と世界の将来について考えよう!

自由谈话
#1
  • wow
  • 2004/11/24 02:20

政治・経済・社会・宗教のお堅い話を熱く語りましょう。
前提条件は全くありません。 何でも書き込んで下さい。
とにかく、前向きに、熱く語り合いましょう。

#4
  • wow
  • 2004/11/25 (Thu) 13:37
  • 报告

このレスの前に、「君が代」についての意見を書き込んだのですが、びびなびさんによるチェックが入っているようです。 気にぜず、次は、「集団的自衛権」について書き込ませて頂きます。

まず最初に、イラクの件と、憲法改正論議の「集団的自衛権」とは、分けて考えるべきと思います。 

アメリカ国内対策として、一般のアメリカ国民の人々に、日本もイラクにいる、と言う事を知ってもらえた事は、日米の友好関係を維持・強化していく上で、非常に有効だったと思います。 また、世界第二の産油国において、新しい国家が誕生するにあたり、それに積極的に協力する事は、日本の国益でもあります。 しかし、これをもって、一部の人々に憲法をいじくる理由を与えるものではありません。 イラクの件は、現行憲法上で対応してもらいたいと思います あくまで、自衛隊は復興支援の為に行くのです。 戦闘行為の偶発的な発生等、何かの問題が今後あったとしても、憲法を変える必要は感じません。 今の憲法は、日本の取るべき行動に対する”重し”として、十分に機能していると思います。

次に、「集団的自衛権」そのものについて考えた時に、いつも最初に頭に浮かび上がる事があります。 すなわち、”誰が”日本に「集団的自衛権」を求めているのだろうか?、と・・・。

アメリカが求めているのしょうか? アメリカは、日本がイギリスのようになる事を求めているのでしょうか? しかし、強大な軍事力をもつアメリカが、イギリス以外に、いつも一緒に戦争をする小さな仲間を必要としているとは思えないのです。 アメリカだって、もう気づいているはずです。 力だけでは問題が解決できない事を・・・。 アメリカと協力しつつ、平和主義によって問題解決を図る役割を日本が取る事は不可能なのでしょうか?

どうしても「集団的自衛権」が必要であれば、日本近海のみで、アメリカの要求に答えるものだけでよいと思います。 これは、決してアメリカの犬になると言う事ではありません。 本来、日本は専守防衛です。 しかし、近隣諸国の軍事力が強大すぎる為に、アメリカの助けは絶対に必要です。 日米同盟維持の為に、緊急的・戦術的にアメリカが日本に要求するものがあるのならば、これを受け入れるべきと思います。 ただし、一つ一つの要求を吟味し、定期的に見直していく必要があると思います。

#5
  • まぼろし探偵
  • 2004/11/25 (Thu) 17:44
  • 报告

傍観さんが言われる通り、
「ある家族(アメリカ)に暴漢(発展途上国)が押し入り、妻が暴行された場合、当然夫は妻を助けます。これが個別的自衛権の発動で、当然現在も認められた権利です。それに対して隣の家(日本)が、無条件に助けにくる」であれば、集団的自衛権として理解できますね。これは"助ける"のであって"侵略に加担する"ではありませんから。同感です。

傍観さんが例に出された『「自宅に暴漢が押し入り、妻が暴行され、(中略)「自分で自分を守りなさい」と、屈強な大男である夫、父親が〜』の例えは、
http://www.geocities.co.jp/Bookend-Shikibu/5100/syuudann.html
↑ここからの引用だと思いますが、傍観さんが書かれている通り『例えがかなり不適切』ですね。それは、このページが集団的自衛権を肯定認識させるために、比較的若い世代のも分かるように書かれたもので、いくつかの例題に対し、『なるほど!』と持ってくやり方が、いかにも肯定派らしいです。
 事実、関連ページの『憲法改正私案』では憲法第九条の改正も提案されています。
 反対はとしては、共産党のページ内に
http://www.jcp.or.jp/faq_box/002/210517_syuudanteki_jieiken.html
↑このページがあり、『これまでアメリカは「自国の死活的な利益」を守るため、必要な場合、一方的な軍事力行使をすることを公式の戦略にし、九九年のユーゴ空爆をはじめ、一方的な武力行使をくり返してきました。集団的自衛権の行使は、無法なアメリカの侵略と武力干渉に日本が共同して参加するという危険な「集団的軍事介入」の道でしかありません。
 憲法の平和条項を葬り去るこのような企ては絶対に許せません』
 と説いています。
 一方、肯定派は自衛権の中に集団的自衛権も個別的自衛権も含有されるとし、集団的自衛権の肯定が、戦前のような戦争に突き進むことはないか?との問いに『個別的自衛権より集団的自衛権のほうが抑制的なんだよ。同盟を結んでいる国が歯止めになってくれるからね。個別的自衛権だと暴走してしまいかねないよ』として、いかにも集団的自衛権の肯定がもっともであるとしていますね。

 ただ、傍観さんの『"助ける"のと"侵略に加担する"は違う』と同じですが、この肯定派の例えは、現状に照合しません。
『例えば、本人A(日本国)と親密な関係にある友人B(米国)が歩いている時に、他人C(某攻撃国)が突然に因縁をつけてきて「兄ちゃん、今、俺の肩に当ったやろ!しばくぞ!」と言いながら友人Bに殴りかかってきたとします。
 警察官(国連)が近傍にいて、直ちに他人Cの攻撃を防ぎ逮捕すればいいのですが、必ずしも警察官が近くにいるとは限りません。その様な場合友人Bは当然他人Cの攻撃を防ぐこととなりますが、これは友人Bの『個別的自衛権の発動』ということになります。
 しかし、他人Cの攻撃がかなり厳しい場合は、当然友人Bは本人Aと共同して攻撃を防ぐことになります。これは本人Aにとってみれば、『集団的自衛権の発動』ということになるのです』
 これは一連の日本が行なっている集団的自衛権ではありませんね。
 現状はむしろこうです。
『例えば、本人A(日本国)と親密な関係にある友人B(米国)が歩いている時に、Bが他人C(イラク)のことを「あいつは絶対悪いヤツだ。証拠も持ってる。見せられないけど、信じるだろ?あいつをやっつける事はきっといいことなんだ。やっつけたらお前にもいいことがあるぞ」と言って、Cに襲いかかります。
 警察官(国連)はその行動に対し「Cは確かに良くないかもしれないが、まだはっきりしていないから勝手な行動をしてはならない。するなら警察主導で行なう」と警告しますが、友人Bは聞かずに攻撃を始めることとなります。しかしこれは、どう考えても友人Bの『個別的自衛権の発動』ということにはなりません。
 そして、他人Cへの攻撃が激しくなり、友人Bは本人Aに協力を求めることになります。これは本人Aにとって『集団的自衛権の発動』ではありません。攻撃を認識、同意した上での協力です。そしてBが言っていた証拠も嘘でした』となります。

 本来の意味での『集団的自衛権』であれば、それは賛成です。
 wowさんの#4の最後の一文『どうしても「集団的自衛権」が必要であれば、日本近海のみで、アメリカの要求に答えるものだけでよいと思います。〜』の通りだと思います。
 なんでもアリの集団的自衛権の是非ではなく、集団的自衛権とはどう理解すべきかの問題ですね。

#6
  • wow
  • 2004/11/26 (Fri) 01:15
  • 报告

snowwhiteさん、傍観さん、早速の書き込みありがとうございました。 しかしまあ、「ちょっとこんな話!」では、完全にシラケさせてもらいましたね^^。 ここでは、あのような事が二度と起こらないように祈っています。 流れに”全く”関係ない話題は、別トピ作って議論してもらいたいです。 それと、物事を正確に伝えようとした場合、文章が長文になるのは仕方がないです。ここでは長文の文章は全然OKと思うのですが、どうでしょうか?

まずは、「君が代」について思った事を書きます。

今回のような、東京都で起こった問題、すなわち、国が力ずくで推し進めた政策を、如何なる正当な基本的人権をもって裁判によって都や国に異議申し立てをしても、日本の現在の裁判制度(or裁判官)では、国や都が敗訴する事は考えられません。 よって、この問題を法律問題として考える事には、何ら意味がないような気がしています。 それ以前に、日本の三権分立の制度を議論する必要を感じるものです。 ちなみに、東京都で起こった事は、少し目立ったようですが、これは他の県でも状況は似たようなものではないかと思います。 「国歌・国旗法」→「学習指導要領」→「強制」のプロセスは、当然にして計画的なものであったと思います。 

「君が代」については、私的には、その内容(歌詞)と日本の将来のあるべき姿との関連で、国歌としては反対です。 歴史的な問題は、大事だけれども、「君が代」が国歌として適切かどうかは、それを考えるまでもない、と思うものです。「君が代」の「君」は、天皇であることは、国が認めています。
以下は、http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/11/09/990906k.htmからの抜粋です。

君が代の「君」に関することにつきましては,君が代の歌詞そのものが,平安時代の古今和歌集や和漢朗詠集に起源をもち,その後,明治時代に至るまでの祝い歌として長い間民衆の幅広い支持を受けたもので,この場合の君が代の「君」とは,相手を指すことが一般的で,必ずしも天皇を指していると限らなかったと考えられます。
ところで,古歌君が代が明治時代に国歌として歌われるようになってからは,大日本帝国憲法の精神を踏まえ,君が代の「君」は,日本を統治する天皇の意味で用いられました。
終戦後,日本国憲法が制定され,天皇の地位も戦前とは変わったことから,日本国憲法下においては,国歌君が代の「君」は,日本国及び日本国民統合の象徴であり,その地位が主権の存する日本国民の総意に基づく天皇のことを指しており,君が代は,日本国民の総意に基づき,天皇を日本国及び日本国民統合の象徴とする我が国のことであり,君が代の歌詞も,そうした我が国の末永い繁栄と平和を祈念したものと解することが適当であると考え,かつ,君が代についてこのような理解は,今日広く各世代の理解を得られるものと考えておるところでございます。
(平成11年7月21日 衆議院内閣委員会 内閣総理大臣)
 
「日本を統治する天皇」と「日本国民統合の象徴(としての天皇)」との違いはありますが、「君」=天皇である事は明らかです。 よって、「君が代」の歌詞の意味は、”天皇制の継続=日本が存続”としか考えられないのです。

それでもいいじゃない。そんな細かい事きにしなくてもいいじゃん! ていうのもありのような気がします。 ただ、集団でこの「君が代」を歌うとき、どうしても一つの疑問が出てくるのです。 我々と、金正日がいる北朝鮮とは、どれほどの差があるというのか・・・。

他にも思う事はいくつかあるのですが、「君が代」についてはここまでにしておきます。

最後に一つだけ。
こんなことで、優秀な人たちが分裂するのは非常にもったいないと思います。 国の安全保障の一番の基礎は、国民の対外的な団結です。 「君が代」をいつまで経っても「強制」しているようでは、非常に心もとないです。 「靖国」もいい加減にしておいたほうが・・・。 いつまで経っても・・・。

#7
  • まぼろし探偵
  • 2004/11/26 (Fri) 03:34
  • 报告

『国歌君が代の「君」は,日本国及び日本国民統合の象徴であり,その地位が主権の存する日本国民の総意に基づく天皇のことを指しており,君が代は,日本国民の総意に基づき,天皇を日本国及び日本国民統合の象徴とする我が国のことであり,君が代の歌詞も,そうした我が国の末永い繁栄と平和を祈念したものと解する』をよく読んでください。
 ここから『「日本を統治する天皇」と「日本国民統合の象徴(としての天皇)」との違いはありますが、「君」=天皇である事は明らかです。 よって、「君が代」の歌詞の意味は、“天皇制の継続=日本が存続”としか考えられないのです』と捉えるのも自由ですが、
『「君」=天皇である事は明らかですが、旧時代の「日本を統治する天皇」と現代の「日本国民統合の象徴(としての天皇)」との違いも明らかです。 よって、「君が代」の歌詞の意味は、“天皇を象徴として例えた上で、日本国及び日本国民の末永い繁栄と平和を祈念したもの”と考えられます』とも捉えられると思います。
 これと、金正日がいる北朝鮮とを近い、似ていると見るのは無理があります(そう見るのも自由ですが)。日本と北朝鮮の両国のことをほとんど知らない人が「似てる」と思うならまだしも、日本人なら、全く内容が違うことは分かってるはずです。どれだけ同じなのでしょうか?今の日本の状態から、北朝鮮化する危険性は、国旗国歌法によって、強まってゆくのでしょうか?

「靖国」については、対外的には問題はあるかもしれませんが、主旨として、日本のために、または日本に利用されて、大事な命を捧げた、犠牲にした多くの人たちに、安らかに眠られることを祈り、二度とこのようなことは繰り返さないことを誓うためとして、間違った行動ではないと思います。靖国参拝=軍国主義の復活と取るのは曲がった見方であり、なぜ、そうとしか取れないのか不思議です。もっといえば、日本人には、「死人に罪を問わない」という観念があり、死んだことで東京裁判の死刑囚たちの罪も、もう問わないという捉え方もあります。それを許さないというのは、他国民の捉え方。自分の物差だけで海外を見ていては、国際的にはなれません。
 しかしそれを百歩譲って、中国の逆鱗に触れる行ないはしないほうがいいことも考慮はすべきかもしれませんが、2兆円を越えるODAを供出しながら、中国国民にはそんな事実は知らされず、有り難くも思われず、さらに靖国参拝を咎められ、なにか納得ができません。日本が軍国かする兆候があるならまだしも、慰霊の行事ひとつで、なぜそう目くじらをたてるのか。そんな中国が理解できないと同時に、日本政府も、統一して毅然とした態度で、日本の立場、見解を説明して欲しいものです。

#8
  • 傍観だけでは終われなくなった
  • 2004/11/27 (Sat) 00:16
  • 报告
  • 删除

#4 wowさん
「”誰が”日本に「集団的自衛権」を求めているのだろうか?、と・・・。」
「アメリカが求めているのしょうか?」〜「しかし、強大な軍事力をもつアメリカが、イギリス以外に、いつも一緒に戦争をする小さな仲間を必要としているとは思えないのです。」
これです!自然に考えてみて、「あれっ何か変だな?」と思うことが小難しい政治の話とはいえど、たくさんあるんです。自分で考えてみる最大のメリットは、こういった不自然・矛盾を見つけられる可能性が高いことだと私は考えています。さらにその矛盾をいきなり自分の知識だけで解決せず、できるだけ両極端の意見を適度なフィルターをもって聞いてみることをお勧めします。

さて歴史的事実として、かなり昔から"集団的自衛権"を容認させるべく、アメリカからの圧力がありました。ですから今のテロが云々という話とは関係なく、この9条の改憲問題は起きていました。

では軍事超大国のアメリカが何故?という疑問ですが、今一度イラク戦争を見ても米軍は13万人?、次に多い英軍は1万人?、次はイタリアで4000人というところでしょうか?数字はアバウトですが、重要なのはこの比率です。またアメリカの最新兵器にくらべ、他国の兵器水準はかなり劣っているという話も聞いたことがあります。実は足手まといになるぐらいだとか。

それでもアメリカが他国の参戦を必要とする理由は、明らかに侵略行為で国際法完全無視であっても、アメリカだけではなく他国も賛同した戦争だと正当化するためでしょう。世界からの孤立を避けるために必要なわけです。事実ブッシュは選挙戦ではしきりに日本も賛同していることを強調していたのも、分かりやすかったと思います。

ここまでこればお分かり頂けるとは思いますが、パンドラの箱"集団的自衛権"を開けてしまった瞬間に、今後日本はアメリカがしかけるすべての戦争に駆り出されると考えた方がよいです。勿論それは戦力というよりは大義名分のえさに使うためです。どんな戦争でもアメリカが行えば正当化してしまうわけですから、もうきれい事では済まされない状況になることぐらいは、改憲賛同者の方も認識して欲しいです。

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