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Vivinavi Los Angeles
宗教勧誘

Preocupaciones / Consulta
#1
  • しつこくて困ってます
  • 2005/10/20 11:24

びびなびサイト内にも色々と情報が載っているようですが、去年もやっていたアズサの方で行われる、日本人留学生対象という謳い文句でやっているイベント。そのリーダー格の人からしょっちゅう電話がかかってきてちょっと困っています。
最初はオモシロそうと思って興味を示したんだけど、話を聞いていると最終的には教会とかに誘われていることが分かってきて、ちょっと怖くなってきています。べつに教会とか宗教には嫌なイメージはないのですが、あんなにがっついて誘われると・・・。
でも電話に出ないと長いメッセージが残されるし、(しかも結構何を言っているかわからないときが多い)その後も何度もかかってくる。だからと言ってハッキリやめてとも言いづらい・・・。こんな時、みなさんならどうしますか?教えてください。

#51
  • コバルト
  • 2005/10/27 (Thu) 13:06
  • Informe

 aputsukasaさんやどら猫さんのレス、読ませて頂きました。
 このトピのお悩みとは少し逸れてしまった宗教論や一部の新興宗教の話が展開してしまいましたが、今回のイベントを企画されたキリスト教については、その誘われた方が少々熱心すぎたことと、トピ主さんも、いやならはっきり断わりましょう、ということで、トピの役割は完結したと思います。しかし、蛇足を長々と付けてしまってすみませんでした。

#46 aputsukaさん、
 僕をご存知とのことですが、つかささんというお名前に記憶がなく、申し訳ありません。以前トーランスの日本人教会の日曜礼拝へお邪魔させて頂いたことがありますが、その時お会いしたのかもしれませんね。違ったらごめんなさい。いずれにせよ、おひさしぶりです。

『ちなみに、私はどうしてクリスチャンになったかと言うと、なった時ORそれ以前には、皆さんがおっしゃるように“弱いから、頼るものが欲しいから”と言った思いは、一度タリトモ持った事はありませんでした。(これ本当)
だから、私がクリスチャンになった時、本当に本当に驚かれました。はい・・・』
 そうですか。それはよかった。あなたが驚かれたというように、一般的にはクリスチャンに限らず、日本やアメリカのように一応物理的に満ち足りた社会において、宗教に走る場合、何か精神的に弱い部分からの解放を求めるケースが多いですよね。だからそうでなく、心身共に健常であって、なおかつ求めて辿り着く人は少ないと思います。

『私はノンクリスチャンとして色々なイベントに行き続けました。
そう、自分に対する自信があったので、120%クリスチャンにならない確信もあったためです』
 そうですか。では、あなたがクリスチャンになった理由はなんでしょうか?
 苦しみからではなく、それまでの生活でも一応満ち足りていたであろう貴方が信心しようと決めたのはなぜですか?批判ではなく、とても興味があります。それがキリスト教でなければならなかった理由、またはその教義の中に、貴方の目を開かせたものがあるなら、ぜひ教えて下さい。

『宗教=弱い。
そう思ってくださって、ぜんぜん結構です。でも、それだけで皆さんが真理を追い求める作業を終わりにする事はすごくもったいないと思います』
 宗教が弱いとは思いません。ただ、心理を求める作業を終わりにすることはすごく勿体無いことだと感じるのは、信心していない僕から見た皆さん信者側にもあるのです。
 一度信心した宗教に対し、「本当にこれでいいのか?」という再確認をされる人は少ないですよね。より信仰を深めようとする人のほうが多いでしょう。信仰を続ける中で、問題点を見つけたならそこで疑問を感じるかもしれませんが、満足していながら、これよりもっといいものがあるかもしれないと、信仰を続けながら他の門を叩く人はいないでしょう。
 それをいけないというのではありませんが、それはつまり「貴方にあった信仰を貴方が見つけた」ということであって、同時に他の人が他の宗教において貴方と同じく「真理を見つけた!」とするならば、それもまた真。であれば、その人その人にあった様々な宗教が存在して然りです。無論、「宗教」以外に真理を見つけることも可なり。しかし、一度中に入ってしまうと「これのみが正しく、他は間違いである」と信じてしまうからおかしくなります。

『皆さん一人一人に真の平安がありますように』
 そのとおりですね。でも、真の平安とは、キリストの教えにのみある、とは貴方は思っていませんか?

#47 どら猫さん、はじめまして。
『クリスチャンといわれる人たちがね、みんながみんな常識知らずでは無い(はず)事は覚えて老いてくれたら嬉しいです』
 そうは思っていません。クリスチャンに限らず、信仰を持つ人は、心優しく、暖かく、思いやりのある人が多いように思います。今までいろいろな宗教の集まりに参加しましたが、その教義は別として、参加されている皆さんはどこへいってもいい方ばかりでした。親切で、明るくて。

『最初に言ったけど、一応だけど、私もねクリスチャンなんだ。それで、同じクリスチャンの人もこのスレを見てたと思うんだ。
でもね、今まで一人しか謝ってないってどういう事なんですか?そっちのほうが気になりました。
特に、そのイベントの責任者が誰も謝ってないって、おかしくないですか?
だって、人の気分を害したんだよ、謝るのが大切な事だと思うよ』
 この言葉に好感を抱きました。宗教云々の前に「人として」ということですよね。僕も同感です。

#49 damnでしさん、どうもです。
『誰に教わったわけでもない俺なりの理解だと、宗教ってのは、ほとんど例外無く生命体にとって避けることのできない「死」をどう捕らえるか、ということが最大の焦点だと思うんですよ』
 そうですね。人間にとって体験したことのない世界はまさに恐怖です。その恐怖からの救済が宗教といってもいいでしょう。

『生命体にとって死とは恐怖するべきものなんだと思う。
人間だけじゃなくてね』
 人間以外の動植物がどう思っているかは、僕には分かりませんが、それはきっと恐怖というより、「死か生であれば、生を選ぶ」というものではないでしょうか。とにかく生きようとすること。死はやがてやってくるけれど、生きようとすること。人にとっても大事ですよね。

『キリスト教や仏教、イスラム教、その他メジャーになった宗教ってのは死後、人の魂がどうなるかってのをうまく説明してくれてるんだと思う。
つまり「死=再生することの無い虚無」では無い、なぜなら・・・
この「なぜなら」の後の部分の説明がうまくできてるんだと思う』
 そうですね。その「なぜなら」をいろいろ説いています。楽園、輪廻、復活...。でも、信仰すれば、の話。

『精神安定剤になる宗教なら必要なんじゃないかな?と思う』
 そうですよね。ただ、死への恐怖に限らずとも、宗教に入信しなくても解決する道もあると思います。事実、死ぬ過程への恐怖はあっても、死後の世界への不安はまったく持っていない、そういう人も少なくない。僕もそうですよ。
 一宗教のみが答ではなく、様々な宗教が共存し、さらに宗教以外にも答はある、そんな柔軟な見方ができれば素晴らしいでしょうね。

『違う宗教を信じる人たちや無宗教の人たちに攻撃的な姿勢になるとしたら、何か違う気がする』
 僕もそのとおりだと思います。

#52
  • Great Expectation
  • 2005/10/27 (Thu) 19:21
  • Informe

aputsukaさん
お久しぶりです。こんな所で再開するのも変な感じがしますね。ミーティングでこの件を取り上げてくださると約束してくださり、ありがとうございました。

「私はノンクリスチャンとして色々なイベントに行き続けました。
そう、自分に対する自信があったので、120%クリスチャンにならない確信もあったためです。
それに、人間的にみても、すっごい役に立つことばっかりいつも話すんです。
人間が成長するのに、確実に必要な事をたっくさん話してくれてたから、いっつも色んな所ついてまわってました。」

そうですね。あなたがまだクリスチャンでない頃、教会でメモを取りながら牧師さんの話を聞いていた姿を覚えています。そのときあなたは、「すごくためになるお話だけど、結局最後に結論を神様にもっていくのが理解できない」と、腑に落ちないようでしたね。クリスチャンとなった今、その問題は解決されましたか?1度ゆっくりキリスト教についてお話できれば、いいですね。

#54
  • momota
  • 2005/10/28 (Fri) 00:27
  • Informe

死という言葉を聞く度、解剖学者養老孟司 の「死の壁」という本を思い出します。以下抜粋です(一部修正をくわえたところもあります)。

「人は自分のことを死なないと勘違いするようになりました。そんなことはない、と仰るかもしれません。(中略)人間が死ぬということが知識としてはわかっていても、実際にはわかっていないのです。」

「現代人はともすれば、とにかく明文化すること、言いかえれば意識化することそれ自体が人間のためである、進歩であると考えます。(中略)そもそも言葉というものは人間が持っている機能のごく一部に過ぎません。にもかかわらず、言葉によって全てを規定しようというのは何か無理があるのではないでしょうか。」

「都市は人間の意識が構造物になったもので、自然を排除してつくられる。その意識とは、自分の思い通りになることが一番価値のあることだという人間中心主義の思想の産物で、身体という自然を遠ざける形で、いつしか死を忘れ、意識がすべてで、自分は死なないと思ってしまっている。その、なんでも思いどおりにならないと気にすまない意識にとって、実は「死」だけが、唯一、思いどおりにならないものなのだ」

「人は自分のことを死なないと勘違いするようになりました。(中略)「俺は俺」「私は私」で不変の意識であるはずだ。不変だとすれば、どうしてそれが消えなくてはいけないのか。なんで死ななきゃならねえんだという疑問です。(中略)だから「魂」という概念を作り出した。そして自分が消えても意識は残るはずだ、ということを「魂が残る」というように考えて、納得していたのでしょう。「死後の魂」を必要としているのは、自分を不変だと思いたがっている「意識」なのです。」

「(中略)しかし、だからといって死んだらどうなるかということで悩んでも仕方がないのも確かです。そんなのは考えても答えがあるものではない。したがって「死の恐怖をいかに克服するか」などと言ったところでどうしようもない。極端に言えば、自分にとって死は無いという言い方が出来るのです。そうすると「(自分の)死とは何か」というのは、理屈の上だけで発生した問題、悩みと言えるかもしれません。」

「死というのは勝手に訪れてくるのであって、自分がどうこうするようなものではない。そんなわけで私自身は、自分の死で悩んだことがありません。死への恐怖も感じない。無駄だからです。「死んだら仕方ない」というふうに考えるのは大切なのです。(中略)人間の力の及ばぬところで出てきた結果は、仕方がないと思うしかない。私はさんざん一元論、原理主義を批判していますが、ある意味で神様っていいな、と思うこともあるのです。それは「結局神の思し召しだから、仕方がない」と考えることに役立つからです。」

「死というのは忌むべきことではなく、人生のなかで経験せざるをえないことなのです。それがあるほうが、人間、さまざまなことについて、もちろん自分についての理解も深まるのです。だから死について考えることは大切なのです。その前提のうえで、「生きるとはどういうことか」という話も出来るからです。」

別の章では例を挙げて現代社会の生死観に触れています。「現代社会は死を排泄物と同じように、見えないところ、考えないところへ追い出しているという。人間の致死率は100%であるにも関わらず、都会生活では死や死体は隠される。人は生き続けるもの、人命尊重、救命医療、人の命は地球より重い、というタテマエが絶対視されていく。」その結果、人命尊重至上命題のあてはまらない例として「アメリカでコースト・ガードの制度を作ったことがありました。海岸で溺れた人の救命作業をする専門家を置いたわけです。その結果、どうなったかといえば、脳に障害を負った人が増えた。溺れかけて途中で蘇生したものの、脳に重い障害が残ったわけです。そうすると介護をする人が非常に増えた。社会的コストがはあがってしまった」

「安楽死とエリート」という章では、重症サリドマイド児の死亡率のはなしをしています。日本は75%、欧米は25%。一方、日本の幼児の死亡率と平均寿命は最高レベルにある。つまり、人命尊重と言いつつも日本では、見えないどこかで今もなお「間引き」が行われているのでは?」と。

賛否両論あると思いますが、興味があれば是非読んでみてください。他にも唯脳論、バカの壁もおすすめです。

#55
  • damnでし
  • 2005/10/28 (Fri) 09:03
  • Informe

俺、ぜんぜんお悩み相談に答えてないよね。
トピ主さん、トピずれで盛り上がっちゃって、ほんとゴメン。
神様、あと少しだけ・・・
momotaさん、まいど。
養老孟司の本の抜粋、ある意味リアルで印象に残る表現が多いっすね。
そうそう、自分だけは死なないって信じたい人間は多い。
俺だって、可能ならそうありたいと思う。
ちょっと古いけどボヘミアン・ラプソティーって歌があるでしょ?
あの歌の中でもママァ〜・・・I don't want to die!って叫びがある。
肉体が滅びるのは理解しても、魂(意識)まで永遠に消えて無くなるというのは怖いことですよ。
友人で物理を専攻した無神論者がいるんだけど、彼はこう言ってた。
”人間が死ぬと肉体は朽ち果て、分解されて行く。
小さな微粒子や時には原子レベルにまで小さく小さくなって行く。
そこに私自身としての意識は存在し得ないが、私の身体を構成する原子レベルのエネルギーが消えることは無い。
したがって、原子レベルに分散したエネルギーは、(全てでは無いが)やがて何らカの形で生命体の中に取り込まれ、一部は別の生命体になって再生する。”
これは理屈で理解できる。
宗教ってのは、この物理の話を超えて、魂は不滅という立場に立ってる。
それを支えるのは、やっぱり死(=再生することの無い意識の虚無)への恐怖だと思う。
時々、腹が立つことがある。
この純粋な恐怖や人間が自然に持ち合わせる弱さを商売に利用する宗教があること。
莫大なお布施や法外な値段で売買される商品。
信仰しない=あの世で地獄を見る(或いは悲惨な来世を迎える、又は来世など無くなり永遠に成仏できない)という教義で恐怖心を煽る。
信者たちのナケナシの金を掻き集めたトップのヤツらは、思い切り贅沢三昧の煩悩垂れ流し放題。
そーゆー人の弱みに付け込む宗教って、ほんと腹立たしいよね。

#56
  • コバルト
  • 2005/10/28 (Fri) 15:32
  • Informe

↑正解!
 だから、立派な(立派すぎる)寺院があったり、教祖がキンキラの服装をして威張っていたり、何かものを買わせたり、戒律があったり、そして上下関係のある組織があったりする宗教は、古かろうが新しかろうが、ロクなもんじゃない。
 宗教なんてもんは、所詮神や仏と自分との付き合いであって、組織に入ったり、何かの教えを厳しく守ったり、何かを買ったりとかの「〜しなければならない」なんてものは一切ないと思うんです。いろいろ学ぶことはあっても、ひとりで出来ます。

 イエスが荒野を歩いて教えを説いていた時、釈迦が衆人を集めてお話をされた時、その話を聞いて、自分なりに受け入れた部分を生活に取り入れていけばそれでよかったんです。
 それをきっちり教典としてまとめ、組織だってガチガチに固めて守ってゆくなんてナンセンス。
 ましてや勘違いの新興宗教はエゴの固まりだし。ホント腹立たしい。

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