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トピック

びびなび ロサンゼルス
宗教勧誘

お悩み・相談
#1
  • しつこくて困ってます
  • 2005/10/20 11:24

びびなびサイト内にも色々と情報が載っているようですが、去年もやっていたアズサの方で行われる、日本人留学生対象という謳い文句でやっているイベント。そのリーダー格の人からしょっちゅう電話がかかってきてちょっと困っています。
最初はオモシロそうと思って興味を示したんだけど、話を聞いていると最終的には教会とかに誘われていることが分かってきて、ちょっと怖くなってきています。べつに教会とか宗教には嫌なイメージはないのですが、あんなにがっついて誘われると・・・。
でも電話に出ないと長いメッセージが残されるし、(しかも結構何を言っているかわからないときが多い)その後も何度もかかってくる。だからと言ってハッキリやめてとも言いづらい・・・。こんな時、みなさんならどうしますか?教えてください。

#78
  • コバルト
  • 2005/10/29 (Sat) 22:31
  • 報告

momotaさんって面白いですね。うん、おもしろい。

『「死ぬこと」って「生と死の境が曖昧」ということでも話しましたが、いつからが「死ぬこと」なんでしょう?』
★少なくとも自分自身が死ぬ瞬間に感じることではないでしょう。それよりも第三者的に今までの経験で知っている人の死の迎え方、それを「死ぬこと」と捉えるケースが多いと思います。

『コバルトさんの仰るのは、ナイフを突きつけられたりというのは「もうすぐ死ぬのかな」と「死を高い確率で近い未来に起こると実感した時」という意味だと理解しています。(それともまた解釈を勘違いしてますかね?)』
★う〜ん、ちょっと違います。僕にしても、明日死ぬかもしれないわけで、それならそれでいい。むしろもしそうなら、恐いどころかある意味で楽しみです。答が分かるから。
 ただ「死ぬのが恐い」ということは、自分が今まで味わったことがないくらいの痛みを伴って訪れる危機的なゲートを潜らなければいけない、そんなイメージだと思うんです。人それぞれですけれどね。だからどうせ死ぬならポックリ逝きたいと願う。人質になって麻酔もなく首を鋸で引かれるなんて絶対イヤ、と。

『数年前に97歳で亡くなった祖父と亡くなる数ヶ月前に話をしました。祖父は老衰で死ぬその日までいたって元気だったのですが、「いつ死んでもおかしくないから、死が怖いと思った事は無い」と言っていました。それより毎日朝目が覚めるたび「今日もまだ生きとった・・・今日も一日頑張るか・・・」と思っていたそうです』
★ま、おじいさんには申し訳ありませんが、97にもなったら、死は恐怖よりも、「お迎え」的な、もう達観して関れるものになってるでしょうね。ま、これも個人差はあるでしょうが。だからそのおじいさんの言動は自然だと思います。死を「自然に近くにあるもの」と見ていたわけだから。

『今のところすぐ死ぬ予定の無い人達(?)は「自分は今日(または近い未来に)はまだ死なない」と思っているから、「予想外な死に直面すると怖い」と思うのではないでしょうか』
★そうですね。おじいさんとは対照的です。

『「身体的痛みや苦痛による恐怖」は痛みがどんなものか知っているので「怖さ」は解りますが、どんなものかも解らない「死ぬこと」に直面した時、「怖い」と思うかどうかすら想像する事ができません』
★そうですか。想像できないから分からない。了解。そこがあなたの面白いところです。あは。

『つまり「未経験の死が怖い」という感覚がありません。「知らないから怖い」という感覚も解らなくもないですが、ちゃんと死を経験できるのは一回きりで、「痛み・苦痛」が予想できるのと違って「死ぬこと」は想像すらできません。大怪我して死に損なったことは何度かありましたけど、実際にまだ死んでないのでそれとは違うわけですよね???』
★死に損なった時に、生死の境で何か見てこられましたか?「死にかた」の一面をもう見てきたのかもしれませんね、あなたは。
 ただ、だからこそ宗教、いや、宗教感というものがあるんでしょうね。どう捉えるか、分からないから、教えに沿って、または自分勝手に一応下絵を書いておく。僕もあなたも「自分勝手派」ですが。

『否応無しに今生きている以上必ずいつか私にも死は訪れます。日々死に一歩ずつ近づいてます。でも怖いと思わないのはなぜでしょう?痛みや苦しみが問題でないのなら、どうして死ぬその瞬間だけを想像して怖がるのか、どうして日々死に近づいていることは怖くないのか解りません』
★死を恐れるという行為は、四六時中恐れおののいているというものではないのでしょうね。しかし、思い描くと恐くなる。地図が途切れているから。予定表に書かれていないから。想像できない世界へ入る瞬間。
 しかし、現実として目が覚めると朝になっていて、また一日が始まっている。昨日も一昨日もそうだったように。変化などない。いつものままだと思い込む。
 だいたい人はこのくらい生きるもんだ、という絵を誰もがそれぞれに描いていて、もちろんいつか死ぬことも知っている。でも、その日はまだまだ遠く、まだ準備するには早すぎる。今から用意したところで無意味だと。
 そんな思い込みが恐怖心を遠ざけているのではないでしょうか?これまた個人差ありですが。

 momotaさんとは、いつか会ってゆっくり話したいですね。玉子かけご飯でも食べながら。あはは。

#79
  • とっくり
  • 2005/10/29 (Sat) 23:02
  • 報告

僕はmomotaさんと違って、普通は死後自分がどうなるのか分からないのが不安だから色んな宗教に天国や地獄があると思うんですが。自分は永遠であると信じたいというか。だから死んでも魂は残るとか、幽霊とかっていうのがあるんだと思いますし。もちろん現代人で死後の世界を心から信じてる人がいるのかどうかは疑問ですが、少なくとも昔の人達はそうだったと思います。

#82

皆さん、お久しぶりです!!つかさです。クリスチャンです。

ちょっと数日間、ここをゆっくり見る時間が無くって、ごめんなさい>O<今、やっとお返事できる時間ができました。ふぅーd(⌒O⌒)b

おぉーーーーー!!!と、真剣にびっくりしています私です。
この様に、なんとタクサンの方がこの掲示板にご意見をされているのか・・・。本当に本当に
びっくりデス!!!!私が言うのも変ですが、ありがとうございます!!!!

まず 一言。
何名かの方が、私の答えにさらにご質問をしてくださっているみたいで、光栄です。ありがとうございます。
→Great Expectationさんへ:おそらく、数日中に会いますね^^では、その時にぃ〜♪♪
→コバルトさんへ:お返事ありがとうございます。実は、思ったのですが、モシよろしければ、私はここに個人のメールアドレスを公開していますので、直接、そちらの方に、メールをしていただけませんでしょうか??そしたら、私もまたいっぱい返事できますし★★
というのも、今回コバルトさんに質問いただきましたことは、結構長く返事に場所を取ってしまうと思う内容なので、逆に、私がどうしてクリスチャンになったか、もし、周りの方々がそこまで興味なかったら、超スペース使ってご説明するのが、申し訳ないので・・・
ですので、もしよかったら、メールを送っていただけますでしょうか?
そしたら、いっぱい説明できます^^
連絡、楽しみに待っていまぁす♪



#62 名前:傍観だけでは終われなくなった2さんへ

はじめまして。
お返事を書くのに時間がたってしまって申し訳ありません。
ご質問、ありがとうございます!!!

宗教を信じてる人たちが引き起こす戦争に関しての質問ですが、私が“自分なりに分かる範囲で”答える。という形でも大丈夫でしょうか・・・??

私自身、まだクリスチャン暦2年で、ヨチヨチべいべぇー♪なので、至らない部分があります。でも、できる限りがんばります^^

えと、まず#62:傍観だけでは終われなくなった2さんが、もっていらっしゃる疑問。
まさしく!そのとおりです!!!
私も、クリスチャンになるまえに
”ちっ。しょせん世の中の戦争は、結局宗教信じてる人が引き起こしているんでしょ?!しかも、クリスチャンも清いとか言って、やつらだって、戦争おこしてんじゃーん?!何がクリスチャンだ。”

ワタクシ、思っておりました。^^;
(正直に言い過ぎて申し訳ないです・・・・・)

これは、私がクリスチャンになって分かったこと?きずいた事??ナのですが、どうやら、“戦争”とか、そういった問題に関しては、どうやら“クリスチャンORnot”という形で見るのではなく、まず、
その、戦争を起こしたりする人間達が、どのような背景で育っているか。=彼らの育った文化は何か?からみ始める事が大切だと思います。

例えば、
日本人の場合は、小さい時から、“平和教育”を叩き込まれてきました。
特に、私は長崎出身なので、“戦争反対!!!”っていうのを、徹底的に習って育った方です^^
そんな中、アメリカに来て、
“戦争OK!戦争は、物事を解決する手段の一つ!!!”みたいな、感覚でほとんどの皆さんがいらっしゃいます。こりゃもうびっくり(クリスチャンである無いに関わらず)
((こちらで生まれ育った日系の方に聞いたら、彼らもまた日本人とは違った感覚をもっていらっしゃると思うのです。))



今、クリスチャンとなった私は、色んな人と戦争の話をする機会があったのですが、まず、最初に知っていただきたい事は、
クリスチャン全員=戦争賛成!
なんて、ことはまぁああああああああああったくありません。はい。

アメリカ人。
ほとんどの人は、たとえクリスチャンでもきっと、“戦争を物事の解決方法の一つ”として捉えます。
これは私がわかっている範囲の事ですが、私は、先ほども言いましたように長崎出身なので、以下の例を。
例えば、アメリカ人のほとんどは、戦争/核兵器により、どれだけの人がどれだけ大変な困難を強いられたのかを、“数字や知識”そして、“本のちょっとの写真”で知っています。
しかし、彼らが習っているもののほとんどは、ただの知識であって彼らの心に真に触れているものではアマリニモ無さそうです。

そりゃ、誰でもそうですよね。
自分が過去に育った環境に、“アメリカよりの”歴史的見地から、“アメリカの政府が動かしやすい”市民を作っているのですから、彼らが知らないのも。または戦争へ行くという手段が、心に来るものではないというのは、ウナヅケル話です。市民のせいでもありません。誰のせいでもありません。ただ、ただ、そうなのです。

私は、昨年の夏、同じ大学のアメリカ人学生3人と、政治学部の教授。彼らと共に、広島、長崎を訪問してきました。
コテコテ?のアメリカ人的思想を持った彼ら。
もちろん、クリスチャンです。
そのトリップの最初の方では、戦争の事とかについて、淡々と顔をにごらせる事も無く話している彼らが居ました。(ちなみに、彼らの知識は私の大学でもぴか一。Debateに学校代表として出て、アメリカの大会に出るぐらいですから、彼らの知識は半端ではありません。知識だけなら、私なんて手も足も出ません。)

彼らが淡々と戦争論を話す姿を見たとき、正直、私は悲しくなるという次元を通り過ぎて、ただただ呆れていました。
どうして、同じクリスチャン。神様に赦されて、イエス様の愛を知ったものとして生きているはずのクリスチャンなのに、こういう発言をするの?って。

文化の差っていうのを、目の当たりにしましたね^^;

しかし、
以下の事を聞いてください!
トリップの最初。資料館に訪問する前や、原爆式典に参加する前は淡々と戦争の必要性を話していた彼らですが、トリップの最後の時には最初に見られた、“戦争論を淡々と話す”者は一人も居ませんでした。
(→詳しくこの繊細を知りたい方は、Peace!という本(長崎新聞社出版)をお読み下さい)

特に衝撃的だったのが
長崎で、あるカトリックの女性が被爆体験をしたとき。
彼女はこういったのです
“私達は、同じ家の出身よ?お互いにゆるしあいましょうよ。”って・・・・。
するとあるアメリカ人の学生の一人は、ただただ泣きながら
“ごめんなさい・・・・。”って。

別に、これはアメリカ人の人たちに謝らせようとして計画したものではまったくありません。そのことを誤解なさらないで下さい。
これは、ただ、たとえクリスチャンとはいえ、文化が違うもの同志が、どうやってお互いを赦しあう事の必要性があるか。っていうのの、ただの一つの例です。

実は、To End Of All Warsっていう映画があります。
この映画は、4年前の、9/11の後、イラク戦の“前”に公開されるべく映画でした。
日本語では、”クワイ河収容所の軌跡“という題名で今売られています。
この映画でも、クリスチャンの人たちが、戦争をどう捉え行きぬいたか、すばらしい物語が繰り広げられている実話です。
ゼヒご覧下さい。

そう、
本当は、誰だって戦争なんてしたくありません。
でも、それぞれが持っている物欲や、自己中心的考え(国粋主義的考え)によって、戦いは生み出されます。現実に、ブッシュはクリスチャン(?らしい)です。
私は、神様本人ではないので、彼が本当のクリスチャンかどうかなんて、判断はつきません。私以外の誰にもつきません。ただ、ただ、知っているのは神様だけです。

彼が今おこなっている決断の一つ一つ。

神様はどう捕らえているのでしょうね。
キリスト教と、政治が一つになる時。政治のリーダーは、キリスト教を使い、神の名を使い、“神の民を動かす”事がみられます。
現に、これは昔のローマ?ローマ帝国??時代にもあったことです。

本物のクリスチャンでない信者が、自分をクリスチャンだと偽り、他のクリスチャン達を動かす場合もあります。

"宗教"と聞いて真っ先に連想するのが"戦争の道具"
こうおっしゃったと思うのですが、個人的には
人間の欲のために、“戦争”がつくりだされ、“宗教”が多くの人民を動かす手段として使いやすいため結果として“道具”とされた
のだと思うんです。

でも、クリスチャンではない皆さんからしたら、ブッシュがイラクに軍を送り、“God bless America!”なんて言っている姿、納得できないですよね。
わたしも、正直納得できません。

本来、神の真の赦しを理解したものなら、そのような決断には出ないとも思います。
しかし、私は神様ではないので、そのように彼を裁く権限もありません。
もし私が、ブッシュだったらどうするか?
もし、皆さんがブッシュだったらどうしますか?
正直、答えるのに難しいと思いません?。
私ORあなたの決断一つでアメリカ国民の将来が?なんて、考えたら考えるほど、私には答えはありません。
彼にも皆さんと同じように、守るものがあります。家族があります。
そんななか、彼が進めていく決断に、誰が非難をできるでしょうか。

でも、私が“個人的に”神様から教わっている日々の信仰の中には、
やはり、“戦争”と言うものを私達が起こしてよいという判断は、つきかねますね。


だらだらと、だらだらと、最強に話が長くなりすぎました。ごめんなさい。
そして、私はご質問にお答えする事ができたのでしょうか・・・・。なんか、話が脱線していそうで。。。

ご質問にチョットは答えれたかなぁ??と望みます。
もしよろしければ、またご質問下さい。私なんかでよければ、いつでもお答えいたします。
毎回書きますが、これらすべては、“私の個人的な意見”です。いくつかのクリスチャンの人たちは反対意見を持っているかもしれません。ご了承下さい



皆さん本当にありがとうございます。
★来週一週間も良い一週間になりますように!季節の変わり目、寒いのでお体に気をつけて★

#83
  • 傍観だけでは終われなくなった2
  • 2005/10/30 (Sun) 01:10
  • 報告
  • 消去

投稿されてから掲載までの時間がこれだけ掛かると、対話するのは難しいなぁ。。

カルトの本当の定義がどんなだかは知りませんが、私的にはカルトも一般に認知された宗教も大差がないと感じています。違いは信者の数くらいで、人数が多ければその中で1社会が形成されるため、世の中的には認知されたとみなされるという感じでしょうか?

ところでアメリカという国は宗教無くして考えることが難しい。人間社会が円滑に機能するためには、地域社会という単位が必要だと思っていますが、アメリカの場合はそれに当たるのが宗教による結びつきだと思います。特に田舎ほど地域の集まりの場=教会なので、これだけの宗教社会が構成されてしまったのかなとも思います。

日本がそこまででないのは、町内会等宗教という枠組みと全く別次元で地域社会が確立しているからかもしれません。

実際アメリカのボランティア団体を探してみると、背後にはしっかり教会がついていたりします。まあ考えてみれば、根本精神では共通している部分があり、組織化されているという意味でも都合がよいわけで、これにはある種納得しています。ですから宗教という存在を全否定する気はありません。

しかし人の意見に左右されやすい、思考能力の弱い人達が大勢集まって誰かにうまくコントロールされている状態は極めて危険だと思っています。そういう集団に限って、自分達の中だけでは満足できず、周りの人間を巻き込もうとしたり、自分達の価値観(私はエゴだと思っていますが)を押し付けようとする。

例えば「中絶は100%許さない」とか、「ゲイという存在は認めない」とかね。自分達が絶対に正しいと思うが為に、他人へルールを強要してよいと本気で考えている人達。そんな集団がこの国には過半数以上いるから、ブッシュのような侵略戦争を起すエゴイストでも、何やら宗教上の信念が共感できればそっちの方が大事だと思っているので、簡単に支持してしまうんですよね(絶句)。

選挙にはオピニオンリーダの存在が大きく影響すると聞いたことがありますが、神父さんはまさにそれなんです。だから神父さんの傾いている方向に信者は簡単に染まる。ああなんて恐ろしい国だ。。そしてその先導者達の舵取り如何で、どこまででも人は暴走できてしまう。これは何も中東やアジアの宗教だけに限られたことではないのだけれど、当事者の方々は気づいているのだろうか。。。

ところでaputsukaさんは、中絶やゲイ問題なんてどうお考えでしょう?というより100%その宗教の理念に賛同できているんでしょうか?もしも賛同できないとき、お仲間の前で堂々と異論を唱えることできる環境なんでしょうかね??私には全く未知の世界ですが、皆が一色に染まらなければならない集団って私はごめんだな。

#84
  • ある宗教の被害者
  • 2005/10/30 (Sun) 09:48
  • 報告
  • 消去

なんか、このトピのテーマはいつのまにか、もうどうでもよくなったんですか?
私はこのトピ主さんがトピを起こしたのに同感し、ただ単純に、宗教の勧誘がハタ迷惑な行為っていうことに参加したつもりでしたが、話が飛躍しすぎて、ちょっとついて行けません。

でも、せっかく、コバルトさんが言ってた「相手を理解し、うまく共存する」っていうのに同感し、まず相手を理解するのにいい機会なのでもう少しトピのテーマを続けてほしいです。

っていうことで前の書き込みをしたんですが、結局roselandさん一人からしかレスはもらえませんでした。
クリスチャンの人達はもっといっぱいこのスレを見てるはず。
一番レスをもらいたかったtsukasaさんにもスルーされたみたいだし。

布教をねずみ講ととらえるなんでとんでもないヤツだ、こいつはバカだからなにを説明しても理解できないだろう。
なんて思った信者さんもいるんじゃないですか?

ねずみ講を例にあげたのは他に考えつかなかったのと、こういうふうにクリスチャンに聞いたら、どういう反応が返ってくるんだろうという興味もあったからです。

実は私のまわりは、特にボランティア関係の人達はクリスチャンだらけです。なかには旦那さんが牧師さんの人もいます。でも彼女ら(私の妻も含めて)は、勧誘活動はしません。

それは、相手が無宗教者が多い日本人だからです。
以前病気で悩んでる患者さんの家族に「布教するのに絶好のチャンス」みたいなことを言った信者がおり問題になってました。
彼女達は「相手を理解し、共存をする」術を身につけており、患者さんが迷惑がるかもしれないと考え、自分達はクリスチャンだというのも、控えてるみたいです。

皆で食事をしたこともありますが、私の妻は私が気分を壊すと思ってるのか、他の人がお祈りしてるのに彼女はしません。
食事会の時にあれをやられると、信者じゃない人間は、なんともいえない不和間を感じますよね。
私だけかもしれませんが。

彼女達は何かの集まりの時も信者でない人は誘いません。
「興味がある人はどうぞ」っていうスタンスです。
roselandさん(ごめんなさい、あなたしかレスをしてもらえなかったので)の意見に従えば、彼女たちはクリスチャン失格ですね。みんな極楽へは行けないんですか?

私はroselandさんのレス(#23でしたっけ?)を読むまでは「布教は自分が救済される為」ってことは知りませんでした。

私の知っているクリスチャンとあなた達は違う宗派なのですか?

なにかイベントを企画し、きた人に布教するのは、考えようによってはエOバより陰険で悪質なようにもとれますが、いかがでしょうか?

私は教養がないのでこんな風にしか書けませんが、私はあなた達を理解したい為に質問しています。
ご了承下さい。

それとあるボランティアの人が「私達、クリスチャンだからこういう(人助け)が出来るのよね」って言ってました。これを聞いた私は、口には出しませんでしたが「なにいってんの?そんな事いちいち神様に教わらなくても、俺はちゃんとやってますよ」
って思いました。
私はやはり宗教嫌いなのかな?

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