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- #1
-
- しつこくて困ってます
- 2005/10/20 11:24
びびなびサイト内にも色々と情報が載っているようですが、去年もやっていたアズサの方で行われる、日本人留学生対象という謳い文句でやっているイベント。そのリーダー格の人からしょっちゅう電話がかかってきてちょっと困っています。
最初はオモシロそうと思って興味を示したんだけど、話を聞いていると最終的には教会とかに誘われていることが分かってきて、ちょっと怖くなってきています。べつに教会とか宗教には嫌なイメージはないのですが、あんなにがっついて誘われると・・・。
でも電話に出ないと長いメッセージが残されるし、(しかも結構何を言っているかわからないときが多い)その後も何度もかかってくる。だからと言ってハッキリやめてとも言いづらい・・・。こんな時、みなさんならどうしますか?教えてください。
- #72
-
- とっくり
- 2005/10/29 (Sat) 17:13
- 신고
#60コバルトさん
僕自身は本来の仏教は魂を認めないと言うか、魂と言う概念が業を生む事に繋がるとされている、と思っています。無我の境地という言葉はそういう事だと。魂や我(ego)があるから欲が生まれる。つまり、それを無くす事が悟りだと。自分が釈迦の生まれ変わりだ、などと言う新興宗教を論破するネックになる部分はここだと思います。仏陀は煩悩を捨て涅槃の境地に入ったのだから、もはや生まれ変わる事は無い、と言うのが本来の仏教だと考えます。あと、キリストの生まれ変わりとか言ってる人達、あり得ないですよね。彼は十字架で死んで、三日後に復活して神のもとに行った。それで最後の審判の日にもう一度戻ってくるんだから。あと、仏教にはもともと極楽浄土という概念があったかどうかも疑わしいです。でもこれは僕の考え方ですから、あんま意味ないですよね。すいません。ただしゃべりたかっただけかも。あと、これも前にコバルトさんがおっしゃってた「宗教とは何か?」によると思うんですけど、僕は無宗教ってあり得るのか疑問です。宗教に対するスタンスはコバルトさんと一緒だと思います。
- #73
-
- コバルト
- 2005/10/29 (Sat) 17:34
- 신고
#72 とっくりさん、ありがとう。
『僕は無宗教ってあり得るのか疑問です』
僕は無宗教主義ですが、有神仏論です。つまり、現存の法人組織、団体としての宗教のみを宗教と呼ぶなら無宗教はあると思いますが、人はそれぞれに多かれ少なかれ生きる上での土台になっている信条や心の声、規範、倫理観をもっています。その中には「神様、仏様」も含まれるでしょう。それを宗教と呼ぶなら、無宗教は有り得ないかもしれませんね。
このトピの皆さんのレスの中にも、「無宗教」としながらも、しっかりとした理性をお持ちの方が多く見られます。うれしく思います。
- #75
-
- momota
- 2005/10/29 (Sat) 19:40
- 신고
コバルトさん
★世間一般で少々履き違えているように思えることがあるのですが、「死」についての恐怖は、本人にしてみれば、恐いのは死後ではなく、死ぬ瞬間、死ぬということですよね。病気、事故、殺人等々。しかし自分以外から見た自分の「死」で恐いのは、死に方よりも、死んでいなくなってしまうこと。momotaさんも「自分の死」に対する恐れは無いといっても、目の前にナイフを突き付けられたり、断崖の今にも落ちそうな場所にひとり立たされたりすれば恐いでしょう?だから死が訪れるならポックリと逝くことを人は望むわけで。
コバルトさんのお返事を読んで改めて考えました。やはり私は「自分の死(の瞬間)」は怖くないと思います。「死後」については机上の推論だと思っていますから、怖いも何もないです。ナイフを突きつけられたり、崖から落ちたり、「怖い(避けたい)」のは死んで無になることではなく、それによって引き起こされる「痛み・苦しみ」だと思います。器械体操をやっていたのでそれなりにいろんな怪我もしたので、普通の人より身体的な痛みには強い方だと思いますが、それでもやはり痛いのは嫌です。練習で使う競技用トランポリンから失敗して落下する時も落ちながら「一番痛くない着地しなきゃ」と必死に考えます。
医学が発展し、脳死や植物状態など、以前なら死んでいた人も死なない世の中になって、「生と死の境」って何だろう?という論議が起こっています。脳死を死とするか(さらに大脳や小脳の死を死とするか、脳幹の死を死とするか)、心臓死を死とするか。脳死で心臓が止まってもまだ細胞は生きていて髪の毛も伸びることもあるので、細胞が全て朽ち果てて死とするか。どれも「後戻りできない・回復しない」状態という意味では同じですが。現代では「死」が今までに無く曖昧になっています。
ちょっとグロい話になりますが、上野正彦氏によると、飛び降り自殺は空中で意識を失って地面に衝突した瞬間に痛みを感じない人が半分ぐらいと気を失わず衝突の瞬間またはその後もしばらく意識がある人が半分ぐらい。ナイフで刺された場合、動脈をすっぱり切られ大量失血すると意識が遠のいて痛みの感覚が無い場合と、筋肉や神経を刺され痛みを感じる場合があるそうです。ちなみに一番苦しい死に方は焼死(一酸化炭素中毒死を除く)と餓死だそうです。毒殺も致死量に足りないと苦しい思いをするそうですが。私の経験では練習中に骨折したり脱臼したりしましたが、その瞬間って痛みが一瞬無いんですよね。何が起こったのかわからない、という感じ。怪我して2−3秒後、骨が折れたり関節が外れたりしているのを視覚で認識してはじめて痛みを感じていたように思います。なので、そのまま怪我と同時に死んでたら痛くないのかな??ぽっくりと。なんて思ってみたり。しつこいですが養老氏がこんな話をしています。「樹海で首吊り自殺を図った男性が、首を吊ろうとした所ロープが切れかなりの高さから落ち大腿部骨折した。たまたま恒例の樹海の見回り(?)に来ていた人達に見つけられ救助されて一言『痛くて死ぬかと思った』。」
怪我であれ病気であれ老衰であれ、死ぬ瞬間は意識も遠のいて神経も痛みを脳に伝えなくなるので怖くないと思いますが、死ぬような大怪我をしてもすぐ死ねず、生きながら痛みを感じ続けるのは避けたいですね。でも痛みや恐怖を感じるのは生きている証ですからね。それは「死が怖い」のとは違う気がします。
カトリックの友達と宗教の話になりました。信じている宗教は無いと言ったら驚いて「じゃあ、あなたのVALUE価値観はどこから来るの?宗教じゃないにしろ何か信じているはずでしょ?」と言われました。それまでは「宗教団体に所属していない=無宗教」という感覚だったので、そう聞かれた時には「確かに私の価値観や倫理観や世界観はどこから来たのだろう?」と疑問に思いました。
「自分の信じているもの」は、キリスト教、仏教、儒教、神道などとはっきり分類することが出来なくても、何かしら生きてきた過程で育ってきた社会の倫理や価値観が強く影響して、誰でも持っていると思います。「倫理・価値観・世界観=宗教」の人はそれが周りとも共有できて、絆というか団体意識が生まれていますが、私のように価値観や世界観が様々な要素(それには儒教や神道や先祖崇拝の一部も含まれるのでしょうが)から成り立っていると特別に他人と共有することも無いだけであって、「何も信じていない」とは違うのかな?と思います。
家族や親戚が皆キリスト教徒である友達はたまたまそれがキリスト教というものに集約されていて、私の場合は一つの名前が付けられた思想に集約されていないだけであって、他の宗教が正しいか正しくないかと、とやかく言っているくせに、自分の倫理と価値観を「正しい」とも「本当に正しいのか?」とも疑問を抱いて自問したことはあまりない気がします。
- #76
-
- コバルト
- 2005/10/29 (Sat) 19:51
- 신고
#74 momotaさん、まいどです。
んー、誤解されているというか、うまく伝わっていませんね。momotaさんは、僕が書いたことを噛み砕いて繰り返しているに過ぎず、反論されていません。
『ナイフを突きつけられたりがけから落ちたり、「怖い(避けたい)」のは死んで無になることではなく、それによって引き起こされる「痛み」だと思います』
★そうです。それが僕の書いた「死」ではない「死ぬこと」です。
『上野正彦氏によると、飛び降り自殺は空中で意識を失って地面に衝突した瞬間に痛みを感じない人が半分ぐらいと気を失わず衝突の瞬間またはその後もしばらく意識がある人が半分ぐらい。ナイフで刺された場合、動脈をすっぱり切られ大量失血すると意識が遠のいて痛みの感覚が無い場合と筋肉や神経を刺され痛みを感じる場合があるそうです』
★死ぬ瞬間に痛みがどうあるかは問題ではありません。
『怪我であれ病気であれ老衰であれ、死ぬ瞬間は意識も遠のいて神経も痛みを脳に伝えなくなるので怖くないと思いますが、死ぬような大怪我をしてもすぐ死ねず、生きながら痛みを感じ続けるのは嫌です。でも痛みを感じるのは生きている証ですからね』
★どんな死にかたが痛いとか、死ぬよりも生き延びるほうがつらいかということでもないんです。
文字だけで伝えるのは本当に難しいですね。笑
つまり、「死んでいる状態」と「死ぬこと」を区別したほうがいいと書きました。
そしてまた「死ぬこと」とは、実際にその経験をした人はすでに「死んでいる」わけで、それを指しているのではなく、死を経験したことがない「生きているもの」にとって、未経験の死が恐いということ。死んでいる状態が恐いというのではなく「死ぬこと」が恐いだけだと思います。だからmomotaさんが死を恐れないのは、僕と同じく死んでいる状態が恐くないだけであり、「死ぬこと」はやはり恐いものなんです。それを痛いというかは自由ですが、同じ意味で書きました。難しい!
『カトリックの友達と宗教の話になりました。信じている宗教は無いと言ったら驚いて「じゃあ、あなたのVALUE価値観はどこから来るの?宗教じゃないにしろ何か信じているはずでしょ?」と言われました』
★宗教をもってしか価値観を見出せないという方がおかしいです。よく、日本人がお寺と神社と教会に自由に行くことを西洋人が不思議に感じるそうですが、「〜でなければいけない」とする西洋人の頭の堅さが不思議です。ヨーロッパにせよ、アメリカにせよ、こんなにいろんな文化が交流しているというのに。
『「確かに私の価値観や倫理観はどこから来たのだろう?」と疑問に思いました。キリスト教、仏教、儒教、神道とはっきり区分することが出来なくても、育った過程で育ってきた社会の倫理や価値観が強く影響していると思います』
★そうです。言わばチャンポン。雑種とでもいいましょうか。動物だって純血より雑種の方が強いでしょ?同じですよ。枠にははめられて「これが正しい!これが正しい!」と子供の頃から育てられるのではなく、いろんなものを見聞きして学んで心に刻んで育ってきたあなたの方がよほど柔軟で強い。柳の枝のように。
『「倫理・価値観=宗教」の人はそれが周りとも共有でき絆というか団体意識が生まれ、私のように様々な価値観(それには儒教や新党の一部も含まれるのでしょうが)から成り立っていると特に他人と共有することも無いだけであって、何も信じていないわけではないのかな?と思います』
★あなたと1から100までまったく同じ価値観の人なんていません。だからといって、誰とも絆が持てないなんてことではない。決してない。いろいろな人と響きあう部分があるから人生の喜びがあります。それが相手によって多いか少ないか、深いか浅いかだけのことです。まったく同じ価値観(宗教)を持って、聖典を読み合いながら「そうですね」「ええそうですね」なんて微笑みあってるほうが、気持ち悪いですよ!
『私の場合は一つの名前が付けられた思想に集約されていないだけであって、他の宗教が正しいか正しくないかと、とやかく言っているくせに、自分の倫理と価値観を「本当に正しいのか?」と疑問を抱いて自問したことはあまりない気がします』
★改めて疑問を抱いたことはないかもしれませんが、今までの人生の中で、その瞬間瞬間に築いてきたものがあると思います。それは気付きであったり、反省であったり、軌道修正であったり。その道程があってこその現在のmomota式価値観でしょう。
- #77
-
- momota
- 2005/10/29 (Sat) 20:40
- 신고
コバルトさん
反論するつもりはないんですよ。というよりコバルトさんのコメントを元に自分なりに死を想像してみたらあんな書き込みになりました。そうですねー。言葉で説明するのは難しいですね。「死ぬこと」って「生と死の境が曖昧」ということでも話しましたが、いつからが「死ぬこと」なんでしょう?
『極論』を言えば生まれた時から日々確実に死に近づいています。いつ死ぬのかもどんな死に方をするのかもわからないので、今の私には「怖がりようが無い」です。明日事故で死ぬ可能性は0ではないけど、起こるとも限らないので怖くは無い。(精神病の一つに起こりうる全ての悪いことに怯えて一歩も家から出られない、という人もいますが・・・)
コバルトさんの仰るのは、ナイフを突きつけられたりというのは「もうすぐ死ぬのかな」と「死を高い確率で近い未来に起こると実感した時」という意味だと理解しています。(それともまた解釈を勘違いしてますかね?)
ふと思い出したのですが、数年前に97歳で亡くなった祖父と亡くなる数ヶ月前に話をしました。祖父は老衰で死ぬその日までいたって元気だったのですが、「いつ死んでもおかしくないから、死が怖いと思った事は無い」と言っていました。それより毎日朝目が覚めるたび「今日もまだ生きとった・・・今日も一日頑張るか・・・」と思っていたそうです。私やコバルトさんのように今のところすぐ死ぬ予定の無い人達(?)は「自分は今日(または近い未来に)はまだ死なない」と思っているから、「予想外な死に直面すると怖い」と思うのではないでしょうか。
上手く言葉に出来ませんが、ナイフの例も崖から落ちる話も、「身体的痛みや苦痛による恐怖」は痛みがどんなものか知っているので「怖さ」は解りますが、どんなものかも解らない「死ぬこと」に直面した時、「怖い」と思うかどうかすら想像する事ができません。つまり「未経験の死が怖い」という感覚がありません。「知らないから怖い」という感覚も解らなくもないですが、ちゃんと死を経験できるのは一回きりで、「痛み・苦痛」が予想できるのと違って「死ぬこと」は想像すらできません。大怪我して死に損なったことは何度かありましたけど、実際にまだ死んでないのでそれとは違うわけですよね???
祖父の生死観にも影響されているのかも知れません。否応無しに今生きている以上必ずいつか私にも死は訪れます。日々死に一歩ずつ近づいてます。でも怖いと思わないのはなぜでしょう?痛みや苦しみが問題でないのなら、どうして死ぬその瞬間だけを想像して怖がるのか、どうして日々死に近づいていることは怖くないのか解りません。
- #78
-
- コバルト
- 2005/10/29 (Sat) 22:31
- 신고
momotaさんって面白いですね。うん、おもしろい。
『「死ぬこと」って「生と死の境が曖昧」ということでも話しましたが、いつからが「死ぬこと」なんでしょう?』
★少なくとも自分自身が死ぬ瞬間に感じることではないでしょう。それよりも第三者的に今までの経験で知っている人の死の迎え方、それを「死ぬこと」と捉えるケースが多いと思います。
『コバルトさんの仰るのは、ナイフを突きつけられたりというのは「もうすぐ死ぬのかな」と「死を高い確率で近い未来に起こると実感した時」という意味だと理解しています。(それともまた解釈を勘違いしてますかね?)』
★う〜ん、ちょっと違います。僕にしても、明日死ぬかもしれないわけで、それならそれでいい。むしろもしそうなら、恐いどころかある意味で楽しみです。答が分かるから。
ただ「死ぬのが恐い」ということは、自分が今まで味わったことがないくらいの痛みを伴って訪れる危機的なゲートを潜らなければいけない、そんなイメージだと思うんです。人それぞれですけれどね。だからどうせ死ぬならポックリ逝きたいと願う。人質になって麻酔もなく首を鋸で引かれるなんて絶対イヤ、と。
『数年前に97歳で亡くなった祖父と亡くなる数ヶ月前に話をしました。祖父は老衰で死ぬその日までいたって元気だったのですが、「いつ死んでもおかしくないから、死が怖いと思った事は無い」と言っていました。それより毎日朝目が覚めるたび「今日もまだ生きとった・・・今日も一日頑張るか・・・」と思っていたそうです』
★ま、おじいさんには申し訳ありませんが、97にもなったら、死は恐怖よりも、「お迎え」的な、もう達観して関れるものになってるでしょうね。ま、これも個人差はあるでしょうが。だからそのおじいさんの言動は自然だと思います。死を「自然に近くにあるもの」と見ていたわけだから。
『今のところすぐ死ぬ予定の無い人達(?)は「自分は今日(または近い未来に)はまだ死なない」と思っているから、「予想外な死に直面すると怖い」と思うのではないでしょうか』
★そうですね。おじいさんとは対照的です。
『「身体的痛みや苦痛による恐怖」は痛みがどんなものか知っているので「怖さ」は解りますが、どんなものかも解らない「死ぬこと」に直面した時、「怖い」と思うかどうかすら想像する事ができません』
★そうですか。想像できないから分からない。了解。そこがあなたの面白いところです。あは。
『つまり「未経験の死が怖い」という感覚がありません。「知らないから怖い」という感覚も解らなくもないですが、ちゃんと死を経験できるのは一回きりで、「痛み・苦痛」が予想できるのと違って「死ぬこと」は想像すらできません。大怪我して死に損なったことは何度かありましたけど、実際にまだ死んでないのでそれとは違うわけですよね???』
★死に損なった時に、生死の境で何か見てこられましたか?「死にかた」の一面をもう見てきたのかもしれませんね、あなたは。
ただ、だからこそ宗教、いや、宗教感というものがあるんでしょうね。どう捉えるか、分からないから、教えに沿って、または自分勝手に一応下絵を書いておく。僕もあなたも「自分勝手派」ですが。
『否応無しに今生きている以上必ずいつか私にも死は訪れます。日々死に一歩ずつ近づいてます。でも怖いと思わないのはなぜでしょう?痛みや苦しみが問題でないのなら、どうして死ぬその瞬間だけを想像して怖がるのか、どうして日々死に近づいていることは怖くないのか解りません』
★死を恐れるという行為は、四六時中恐れおののいているというものではないのでしょうね。しかし、思い描くと恐くなる。地図が途切れているから。予定表に書かれていないから。想像できない世界へ入る瞬間。
しかし、現実として目が覚めると朝になっていて、また一日が始まっている。昨日も一昨日もそうだったように。変化などない。いつものままだと思い込む。
だいたい人はこのくらい生きるもんだ、という絵を誰もがそれぞれに描いていて、もちろんいつか死ぬことも知っている。でも、その日はまだまだ遠く、まだ準備するには早すぎる。今から用意したところで無意味だと。
そんな思い込みが恐怖心を遠ざけているのではないでしょうか?これまた個人差ありですが。
momotaさんとは、いつか会ってゆっくり話したいですね。玉子かけご飯でも食べながら。あはは。
- #79
-
- とっくり
- 2005/10/29 (Sat) 23:02
- 신고
僕はmomotaさんと違って、普通は死後自分がどうなるのか分からないのが不安だから色んな宗教に天国や地獄があると思うんですが。自分は永遠であると信じたいというか。だから死んでも魂は残るとか、幽霊とかっていうのがあるんだと思いますし。もちろん現代人で死後の世界を心から信じてる人がいるのかどうかは疑問ですが、少なくとも昔の人達はそうだったと思います。
- #82
-
皆さん、お久しぶりです!!つかさです。クリスチャンです。
ちょっと数日間、ここをゆっくり見る時間が無くって、ごめんなさい>O<今、やっとお返事できる時間ができました。ふぅーd(⌒O⌒)b
おぉーーーーー!!!と、真剣にびっくりしています私です。
この様に、なんとタクサンの方がこの掲示板にご意見をされているのか・・・。本当に本当に
びっくりデス!!!!私が言うのも変ですが、ありがとうございます!!!!
まず 一言。
何名かの方が、私の答えにさらにご質問をしてくださっているみたいで、光栄です。ありがとうございます。
→Great Expectationさんへ:おそらく、数日中に会いますね^^では、その時にぃ〜♪♪
→コバルトさんへ:お返事ありがとうございます。実は、思ったのですが、モシよろしければ、私はここに個人のメールアドレスを公開していますので、直接、そちらの方に、メールをしていただけませんでしょうか??そしたら、私もまたいっぱい返事できますし★★
というのも、今回コバルトさんに質問いただきましたことは、結構長く返事に場所を取ってしまうと思う内容なので、逆に、私がどうしてクリスチャンになったか、もし、周りの方々がそこまで興味なかったら、超スペース使ってご説明するのが、申し訳ないので・・・
ですので、もしよかったら、メールを送っていただけますでしょうか?
そしたら、いっぱい説明できます^^
連絡、楽しみに待っていまぁす♪
#62 名前:傍観だけでは終われなくなった2さんへ
はじめまして。
お返事を書くのに時間がたってしまって申し訳ありません。
ご質問、ありがとうございます!!!
宗教を信じてる人たちが引き起こす戦争に関しての質問ですが、私が“自分なりに分かる範囲で”答える。という形でも大丈夫でしょうか・・・??
私自身、まだクリスチャン暦2年で、ヨチヨチべいべぇー♪なので、至らない部分があります。でも、できる限りがんばります^^
えと、まず#62:傍観だけでは終われなくなった2さんが、もっていらっしゃる疑問。
まさしく!そのとおりです!!!
私も、クリスチャンになるまえに
”ちっ。しょせん世の中の戦争は、結局宗教信じてる人が引き起こしているんでしょ?!しかも、クリスチャンも清いとか言って、やつらだって、戦争おこしてんじゃーん?!何がクリスチャンだ。”
と
ワタクシ、思っておりました。^^;
(正直に言い過ぎて申し訳ないです・・・・・)
これは、私がクリスチャンになって分かったこと?きずいた事??ナのですが、どうやら、“戦争”とか、そういった問題に関しては、どうやら“クリスチャンORnot”という形で見るのではなく、まず、
その、戦争を起こしたりする人間達が、どのような背景で育っているか。=彼らの育った文化は何か?からみ始める事が大切だと思います。
例えば、
日本人の場合は、小さい時から、“平和教育”を叩き込まれてきました。
特に、私は長崎出身なので、“戦争反対!!!”っていうのを、徹底的に習って育った方です^^
そんな中、アメリカに来て、
“戦争OK!戦争は、物事を解決する手段の一つ!!!”みたいな、感覚でほとんどの皆さんがいらっしゃいます。こりゃもうびっくり(クリスチャンである無いに関わらず)
((こちらで生まれ育った日系の方に聞いたら、彼らもまた日本人とは違った感覚をもっていらっしゃると思うのです。))
今、クリスチャンとなった私は、色んな人と戦争の話をする機会があったのですが、まず、最初に知っていただきたい事は、
クリスチャン全員=戦争賛成!
なんて、ことはまぁああああああああああったくありません。はい。
アメリカ人。
ほとんどの人は、たとえクリスチャンでもきっと、“戦争を物事の解決方法の一つ”として捉えます。
これは私がわかっている範囲の事ですが、私は、先ほども言いましたように長崎出身なので、以下の例を。
例えば、アメリカ人のほとんどは、戦争/核兵器により、どれだけの人がどれだけ大変な困難を強いられたのかを、“数字や知識”そして、“本のちょっとの写真”で知っています。
しかし、彼らが習っているもののほとんどは、ただの知識であって彼らの心に真に触れているものではアマリニモ無さそうです。
そりゃ、誰でもそうですよね。
自分が過去に育った環境に、“アメリカよりの”歴史的見地から、“アメリカの政府が動かしやすい”市民を作っているのですから、彼らが知らないのも。または戦争へ行くという手段が、心に来るものではないというのは、ウナヅケル話です。市民のせいでもありません。誰のせいでもありません。ただ、ただ、そうなのです。
私は、昨年の夏、同じ大学のアメリカ人学生3人と、政治学部の教授。彼らと共に、広島、長崎を訪問してきました。
コテコテ?のアメリカ人的思想を持った彼ら。
もちろん、クリスチャンです。
そのトリップの最初の方では、戦争の事とかについて、淡々と顔をにごらせる事も無く話している彼らが居ました。(ちなみに、彼らの知識は私の大学でもぴか一。Debateに学校代表として出て、アメリカの大会に出るぐらいですから、彼らの知識は半端ではありません。知識だけなら、私なんて手も足も出ません。)
彼らが淡々と戦争論を話す姿を見たとき、正直、私は悲しくなるという次元を通り過ぎて、ただただ呆れていました。
どうして、同じクリスチャン。神様に赦されて、イエス様の愛を知ったものとして生きているはずのクリスチャンなのに、こういう発言をするの?って。
文化の差っていうのを、目の当たりにしましたね^^;
しかし、
以下の事を聞いてください!
トリップの最初。資料館に訪問する前や、原爆式典に参加する前は淡々と戦争の必要性を話していた彼らですが、トリップの最後の時には最初に見られた、“戦争論を淡々と話す”者は一人も居ませんでした。
(→詳しくこの繊細を知りたい方は、Peace!という本(長崎新聞社出版)をお読み下さい)
特に衝撃的だったのが
長崎で、あるカトリックの女性が被爆体験をしたとき。
彼女はこういったのです
“私達は、同じ家の出身よ?お互いにゆるしあいましょうよ。”って・・・・。
するとあるアメリカ人の学生の一人は、ただただ泣きながら
“ごめんなさい・・・・。”って。
別に、これはアメリカ人の人たちに謝らせようとして計画したものではまったくありません。そのことを誤解なさらないで下さい。
これは、ただ、たとえクリスチャンとはいえ、文化が違うもの同志が、どうやってお互いを赦しあう事の必要性があるか。っていうのの、ただの一つの例です。
実は、To End Of All Warsっていう映画があります。
この映画は、4年前の、9/11の後、イラク戦の“前”に公開されるべく映画でした。
日本語では、”クワイ河収容所の軌跡“という題名で今売られています。
この映画でも、クリスチャンの人たちが、戦争をどう捉え行きぬいたか、すばらしい物語が繰り広げられている実話です。
ゼヒご覧下さい。
そう、
本当は、誰だって戦争なんてしたくありません。
でも、それぞれが持っている物欲や、自己中心的考え(国粋主義的考え)によって、戦いは生み出されます。現実に、ブッシュはクリスチャン(?らしい)です。
私は、神様本人ではないので、彼が本当のクリスチャンかどうかなんて、判断はつきません。私以外の誰にもつきません。ただ、ただ、知っているのは神様だけです。
彼が今おこなっている決断の一つ一つ。
神様はどう捕らえているのでしょうね。
キリスト教と、政治が一つになる時。政治のリーダーは、キリスト教を使い、神の名を使い、“神の民を動かす”事がみられます。
現に、これは昔のローマ?ローマ帝国??時代にもあったことです。
本物のクリスチャンでない信者が、自分をクリスチャンだと偽り、他のクリスチャン達を動かす場合もあります。
"宗教"と聞いて真っ先に連想するのが"戦争の道具"
こうおっしゃったと思うのですが、個人的には
人間の欲のために、“戦争”がつくりだされ、“宗教”が多くの人民を動かす手段として使いやすいため結果として“道具”とされた
のだと思うんです。
でも、クリスチャンではない皆さんからしたら、ブッシュがイラクに軍を送り、“God bless America!”なんて言っている姿、納得できないですよね。
わたしも、正直納得できません。
本来、神の真の赦しを理解したものなら、そのような決断には出ないとも思います。
しかし、私は神様ではないので、そのように彼を裁く権限もありません。
もし私が、ブッシュだったらどうするか?
もし、皆さんがブッシュだったらどうしますか?
正直、答えるのに難しいと思いません?。
私ORあなたの決断一つでアメリカ国民の将来が?なんて、考えたら考えるほど、私には答えはありません。
彼にも皆さんと同じように、守るものがあります。家族があります。
そんななか、彼が進めていく決断に、誰が非難をできるでしょうか。
でも、私が“個人的に”神様から教わっている日々の信仰の中には、
やはり、“戦争”と言うものを私達が起こしてよいという判断は、つきかねますね。
だらだらと、だらだらと、最強に話が長くなりすぎました。ごめんなさい。
そして、私はご質問にお答えする事ができたのでしょうか・・・・。なんか、話が脱線していそうで。。。
ご質問にチョットは答えれたかなぁ??と望みます。
もしよろしければ、またご質問下さい。私なんかでよければ、いつでもお答えいたします。
毎回書きますが、これらすべては、“私の個人的な意見”です。いくつかのクリスチャンの人たちは反対意見を持っているかもしれません。ご了承下さい
皆さん本当にありがとうございます。
★来週一週間も良い一週間になりますように!季節の変わり目、寒いのでお体に気をつけて★
- #83
-
投稿されてから掲載までの時間がこれだけ掛かると、対話するのは難しいなぁ。。
カルトの本当の定義がどんなだかは知りませんが、私的にはカルトも一般に認知された宗教も大差がないと感じています。違いは信者の数くらいで、人数が多ければその中で1社会が形成されるため、世の中的には認知されたとみなされるという感じでしょうか?
ところでアメリカという国は宗教無くして考えることが難しい。人間社会が円滑に機能するためには、地域社会という単位が必要だと思っていますが、アメリカの場合はそれに当たるのが宗教による結びつきだと思います。特に田舎ほど地域の集まりの場=教会なので、これだけの宗教社会が構成されてしまったのかなとも思います。
日本がそこまででないのは、町内会等宗教という枠組みと全く別次元で地域社会が確立しているからかもしれません。
実際アメリカのボランティア団体を探してみると、背後にはしっかり教会がついていたりします。まあ考えてみれば、根本精神では共通している部分があり、組織化されているという意味でも都合がよいわけで、これにはある種納得しています。ですから宗教という存在を全否定する気はありません。
しかし人の意見に左右されやすい、思考能力の弱い人達が大勢集まって誰かにうまくコントロールされている状態は極めて危険だと思っています。そういう集団に限って、自分達の中だけでは満足できず、周りの人間を巻き込もうとしたり、自分達の価値観(私はエゴだと思っていますが)を押し付けようとする。
例えば「中絶は100%許さない」とか、「ゲイという存在は認めない」とかね。自分達が絶対に正しいと思うが為に、他人へルールを強要してよいと本気で考えている人達。そんな集団がこの国には過半数以上いるから、ブッシュのような侵略戦争を起すエゴイストでも、何やら宗教上の信念が共感できればそっちの方が大事だと思っているので、簡単に支持してしまうんですよね(絶句)。
選挙にはオピニオンリーダの存在が大きく影響すると聞いたことがありますが、神父さんはまさにそれなんです。だから神父さんの傾いている方向に信者は簡単に染まる。ああなんて恐ろしい国だ。。そしてその先導者達の舵取り如何で、どこまででも人は暴走できてしまう。これは何も中東やアジアの宗教だけに限られたことではないのだけれど、当事者の方々は気づいているのだろうか。。。
ところでaputsukaさんは、中絶やゲイ問題なんてどうお考えでしょう?というより100%その宗教の理念に賛同できているんでしょうか?もしも賛同できないとき、お仲間の前で堂々と異論を唱えることできる環境なんでしょうかね??私には全く未知の世界ですが、皆が一色に染まらなければならない集団って私はごめんだな。
- #84
-
なんか、このトピのテーマはいつのまにか、もうどうでもよくなったんですか?
私はこのトピ主さんがトピを起こしたのに同感し、ただ単純に、宗教の勧誘がハタ迷惑な行為っていうことに参加したつもりでしたが、話が飛躍しすぎて、ちょっとついて行けません。
でも、せっかく、コバルトさんが言ってた「相手を理解し、うまく共存する」っていうのに同感し、まず相手を理解するのにいい機会なのでもう少しトピのテーマを続けてほしいです。
っていうことで前の書き込みをしたんですが、結局roselandさん一人からしかレスはもらえませんでした。
クリスチャンの人達はもっといっぱいこのスレを見てるはず。
一番レスをもらいたかったtsukasaさんにもスルーされたみたいだし。
布教をねずみ講ととらえるなんでとんでもないヤツだ、こいつはバカだからなにを説明しても理解できないだろう。
なんて思った信者さんもいるんじゃないですか?
ねずみ講を例にあげたのは他に考えつかなかったのと、こういうふうにクリスチャンに聞いたら、どういう反応が返ってくるんだろうという興味もあったからです。
実は私のまわりは、特にボランティア関係の人達はクリスチャンだらけです。なかには旦那さんが牧師さんの人もいます。でも彼女ら(私の妻も含めて)は、勧誘活動はしません。
それは、相手が無宗教者が多い日本人だからです。
以前病気で悩んでる患者さんの家族に「布教するのに絶好のチャンス」みたいなことを言った信者がおり問題になってました。
彼女達は「相手を理解し、共存をする」術を身につけており、患者さんが迷惑がるかもしれないと考え、自分達はクリスチャンだというのも、控えてるみたいです。
皆で食事をしたこともありますが、私の妻は私が気分を壊すと思ってるのか、他の人がお祈りしてるのに彼女はしません。
食事会の時にあれをやられると、信者じゃない人間は、なんともいえない不和間を感じますよね。
私だけかもしれませんが。
彼女達は何かの集まりの時も信者でない人は誘いません。
「興味がある人はどうぞ」っていうスタンスです。
roselandさん(ごめんなさい、あなたしかレスをしてもらえなかったので)の意見に従えば、彼女たちはクリスチャン失格ですね。みんな極楽へは行けないんですか?
私はroselandさんのレス(#23でしたっけ?)を読むまでは「布教は自分が救済される為」ってことは知りませんでした。
私の知っているクリスチャンとあなた達は違う宗派なのですか?
なにかイベントを企画し、きた人に布教するのは、考えようによってはエOバより陰険で悪質なようにもとれますが、いかがでしょうか?
私は教養がないのでこんな風にしか書けませんが、私はあなた達を理解したい為に質問しています。
ご了承下さい。
それとあるボランティアの人が「私達、クリスチャンだからこういう(人助け)が出来るのよね」って言ってました。これを聞いた私は、口には出しませんでしたが「なにいってんの?そんな事いちいち神様に教わらなくても、俺はちゃんとやってますよ」
って思いました。
私はやはり宗教嫌いなのかな?
- #85
-
- momota
- 2005/10/30 (Sun) 10:42
- 신고
トピ主さん。いつもトピずれごめんなさい。
コバルトさん
★「死ぬのが恐い」ということは、自分が今まで味わったことがないくらいの痛みを伴って訪れる危機的なゲートを潜らなければいけない、そんなイメージだと思うんです。人それぞれですけれどね。だからどうせ死ぬならポックリ逝きたいと願う。人質になって麻酔もなく首を鋸で引かれるなんて絶対イヤ、と。
自分がどんな風に死ぬのか誰にもわからない。老衰でも即死でも「死に方第一希望=ぽっくり」いく可能性もある。ということは、そういう死に方なら死はそれほど怖くないのでしょうか?当然痛みと苦痛を伴って死ぬ可能性もある。起こりうる死に方の確率だけを考えているのだとしたら、50・50です。もちろん病死の確率をなるべく減らすように定期的に健康診断を受けたり、健康に気を使った生き方をすることも出来るし、事故死する確率を最小限にするために無茶な運転をせず安全に気をつけることもできる。それでもやっぱり自分がどんな風に死ぬのか解らないから「50%の確率で起こりうる苦しい死」を心配して恐れる気になりません。
★97にもなったら、死は恐怖よりも、「お迎え」的な、もう達観して関れるものになってるでしょうね。ま、これも個人差はあるでしょうが。だからそのおじいさんの言動は自然だと思います。死を「自然に近くにあるもの」と見ていたわけだから。
私もどちらかというと死は自然に近くにあるものだと感じています。自分が不変であると考えていません。毎日死を意識しているわけではありませんが「身体は不変ではなく、日々死に近づいている」という認識はあります。「死」というよりは「老い」と言った方がいいかな。久々に両親と旅行に行って、若い頃はスポーツマンだったので、歳を取ってもある程度健康で力持ちの父のイメージだったのに、今では体力がなくなって食が細くなった姿を見たとき「人は毎日着実に老いていく=不変ではない」と実感しました。自分でも最近身体の衰えを実感してますが・・・(笑)さらに、研究論文や書類の締め切りが迫るたび「時間があった時に何でちゃんと毎日少しづつやら無かったんだろう」と時間が止まることなく進み続ける事を再認識します(涙)。
★死に損なった時に、生死の境で何か見てこられましたか?「死にかた」の一面をもう見てきたのかもしれませんね、あなたは。
練習中に落下して頭を打ちました。意識が無かったので、怪我のこともあんまり覚えていないです。怪我の瞬間から目が覚めるまでは私にとっては、寝たら夢も見ずに朝目が覚めた感覚と似ていて「無」でした。目が覚めて時間が経っていたことを教えられたとき、見たかったドラマを見逃したのが悔しかったことは覚えています。「どうして番組をビデオに撮っておいてくれなかったの?」と言ったら「死に掛けたんだから!!」と言われても「あ、そうなの?ごめんなさい」という感じ。怪我した瞬間に「死ぬかも知れない」と恐怖を覚えた記憶も無いですね。忘れてるだけかもしれませんが。でも、怪我で死にかけたのと、銃やナイフを突きつけられて「殺されるかも」という感覚はまた違うと思います。しかし、他殺される確率を心配して今から死を恐れる気にもなれません。祖父のように老衰で死ぬ時の方がよっぽど「死ぬこと」を現実的に考えられるのではないかな?と思います。
「日々変化し老いていくこと」が当たり前で成功も失敗も神様ではなく自分の運と努力次第だと思っていて「将来」「死ぬこと」「死後」を特別ネガティブなもの(恐怖・不安)を感じない私には、宗教団体の方が私のためを思って熱心に教えてくださる「幸福をもたらす神」や「神の救い」の言葉も右から左に筒抜けです。
ある宗教の被害者さん
>あるボランティアの人が「私達、クリスチャンだからこういう(人助け)が出来るのよね」って言ってました。これを聞いた私は、口には出しませんでしたが「なにいってんの?そんな事いちいち神様に教わらなくても、俺はちゃんとやってますよ」
って思いました。
人生の選択に宗教の教えを必要としていない私は同感です。神様に教わらなかったけども、ボランティア活動は私もしていますから。彼らは宗教上良い行いは神様もちゃんと見ていて知っている、というような事を教えられていると思うので、そういう発言をするということは、 逆を言えば「クリスチャンになっていなかったらボランティア=人助けなんてしてなかったかもしれない」人達なのかもしれませんね。
もう一つは「神様」が(自分では)良い行い(と思っている事)の精神的REWARDになっていることも大きな要因だと思います。その日の布教活動で信者を増やせなくても、たとえ罵声を浴びせられても「良いことしたな」「神様は見てくれている」と思って、懲りずに(?)布教活動なり自分の信仰を人に聞いてもらうことに喜びを感じるのではないか、と想像します。どんな些細な事であれ宗教(布教)行為が迷惑だと受け取る人にとっては、悪意の無い信者の考えや行動は、なおさら厄介です。
- #86
-
トピ主さん及びトピに参加されている皆さん、トピズレを暴走させてすみませ。しかしスタンスは私も"ある宗教の被害者"さんと同じですので相手が何か考えているかを理解した上で、どうして欲しいかを考えるという意味で、少し続けさせてください。
#82 aputsukaさん
ご丁寧にお返事頂きありがとうございます。掲載まで時間がものすごく掛かっているため、レスが前後しているようですが、1つ1つ突っ込んでいくとかなり長文になってしまうので、できるだけ簡潔に感じたポイントをコメントします。
>「クリスチャン全員=戦争賛成!」
とは最初から私も思っていませんのでご安心を。そうではなくて、知らずか知ってかは分かりませんが結果論として戦争を引き起こすことになる or 戦争に加担する危険性が高く、事実今までそれを繰り返しているということです。
その一例は記憶にも新しいイラク戦争。プロパガンダにはまって国民のほとんどが開戦を支持していましたが、真相を知るつれて反対が半数を超えたにも関わらず、その主犯ブッシュは再選されました。何故再選されたかは#83に書きました。(待ちきれなくてかなり前に投稿した)これも宗教を国民コントロールの道具に使った正に良い例だったと思います。いくらクリスチャンの方が戦争反対と言っていたところで、ブッシュに票を入れた時点で、その人のプライオリティがどこにあるかは知れていると思います。
>「ほとんどの人は、たとえクリスチャンでもきっと、“戦争を物事の解決方法の一つ”として捉えます。」
ここでアメリカ人を勝手に規定しまうのはどうかと思うのですが、この表現はきれい事です。誰もが言いたがらない本音は、
"できることなら支配したいし、自分は支配してよいと思っている"でしょう。そう支配欲の塊なんです。そう考えると一連のクリスチャンの行動は理解できます。中絶がダメとかゲイの結婚がダメとか、そこまで他人に干渉し強制力を実行してよいと思っている人達は、確かにアメリカ保守派には多くみられる気がします。
>「私は神様ではないので、そのように彼を裁く権限もありません。」
この人間社会では神ではなく人が作った法というもので人を裁くことで秩序を保っているわけですが、法により裁くという行為自体を否定されているということでしょうか?(法自身が宗教により偏ったり歪められているという事実はありますので、これが万能ではないのですが)
>「彼にも皆さんと同じように、守るものがあります。家族があります。
そんななか、彼が進めていく決断に、誰が非難をできるでしょうか。」
ちなみに彼の守るもの=自分に利用価値のある、支持が得られる裕福層だけなので、一国を担うリーダーとしては致命的だと思っています。超資本主義国家の典型的な例です。だからあのようなハリケーンの悲惨な事態になる。非難できるかどうかは、どの視点、範囲で評価するかですよね?彼が守っているものだけで見たら、彼はスーパーヒーローでしょう。しかし彼に守られていない人から見たら悪の化身にしか見えないと思うのですが、一国のリーダーをそんな狭い世界内の成果だけで評価できる発想が怖いです。。しかし良いヒントにはなりました。
自分と同じ輪の中だけで物事を評価し、ルール化してしまうという発想だと思います。だから他の宗教とは敵対してしまうのでしょう。称えているも神様違うしね。宗教間で争いが起きるはずですね。。
とても意地悪な質問ですが、あなたはイスラム、ユダヤ、アラブ、ヒンズー教、その他自分と違う宗派の友達をお持ちですか?本気で友達になることができますか?あなたのお仲間はどんな感じですか?
- #87
-
- momota
- 2005/10/30 (Sun) 22:06
- 신고
ヤフーのニュースにオ○ム真理教内で信者同士対立というのがありました。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20051031-00000105-yom-soci
キリスト教やイスラム教なども長い歴史の中で対立・分裂・独立を繰り返して今のような複雑な多宗派になっています。
俗にカルトと呼ばれる、規模的には小さいオ○ムでさえも内紛が起こるのですね。戦争やテロとまでは行かなくても、やはり信仰と紛争の関係は切っても切れない気がするのですが・・・。
- #88
-
- とっくり
- 2005/10/31 (Mon) 01:39
- 신고
旧約聖書のヨシュア記を読むと神の命令なら何やっても良いんだな、と思う。有名なジェリコの戦いも出てきます。読んだ事が無い人は読んでみると良いと思います。あぁ、ちょっとヘコみました。心臓の弱い人は気をつけてください。
- #90
-
- damnでし
- 2005/10/31 (Mon) 08:52
- 신고
あのぉログ見てて気付いたんだけど、ここのトピ主10/21の#14を最後に一週間以上、発言してないんだよね。
特にトピずれに対する苦情もないし、いいんだろうとは思うけど、トピ主的に、トピずれで盛り上がってる状況を容認してるのかどうかチョット気になります。
- #91
-
- コバルト
- 2005/10/31 (Mon) 11:00
- 신고
キリスト教系のイベントに誘われたトピ主さんが、それをやや迷惑に思い、どうしたらいいかということで始まったスレですが、イヤならはっきり断わったほうが良いという意見が幾つか出て、またクリスチャンのかたも何人か登場され、そのイベントが悪質なものではなく、ただ、トピ主さんを誘った信者の方が、きっと熱心になり過ぎたのだろうと、反省の弁もありました。
一応トピの目的は達成されたと思います。ただし、今回のキリスト教を批判するわけではありませんが、「宗教」全般に対する疑問が僕も含めて幾つか上がり、トピック本題からは逸れましたが、これを機会に意見交換が行なわれました。明らかな苦情として上がったのは主に新興宗教です。
その中で、「宗教と戦争」が相反するものでありながら現実的にイコールとして存在するのはなぜかという話題になり、クリスチャンの方も意見を書き込んで下さいました。
momotaさんの#87の書き込みは、もちろんトピックに直結したものではありませんが、話題に上がった宗教と戦争の中で、同じルーツを持つイスラム教、ユダヤ教、キリスト教が対立するように、もっと小規模の新興宗教ですら対立・分裂・独立があるという一例を載せて頂いたものです。僕は参考になりました。
ご理解いただければ幸いです。
『トピ主的に、トピずれで盛り上がってる状況を容認してるのかどうかチョット気になります』
ご自分の問題が解決されぬままならいけないでしょうが、それが済んだあとの、放課後の雑談を有志が残ってしているだけなので、よろしいのではないかと僕は思います。トピ主さんとしては、ある意味放置では?^_^
- #92
-
宗教の教えや思想について考えるといつも思うのは神程巨大な存在が作ったものにはとてもとても思えない。キリスト教の聖書を読んでも思いますが人間という次元を超えた超越したような考えにははっきり言って出会った事がありません。
たとえばキリスト教の教えでは天国に行くには神を信じなければ駄目、なぜなら罪を洗い流せるのは神だけだから。唯一の例外はその”キリスト教の教え”に人生の中で出会えなかったとき。しかしその存在を知りつつ神を拒んだまま死を迎えたなら天国に行くチャンスは断たれるらしいです。
個人的にどちらかと言うと死後の世界の存在自体をあまり信じていないんですがこの思想はあまりにも人間地味ていると思いました。”神”ほどの偉大なものなら自分を受け入れるか拒むかで判断を下すことはとても考えられないというのが僕の意見です。”自分がパワーを持ってるからそれを振り回して自分を慕うものだけを救おう”という考えなら人間でもたくさん神以上が存在すると思います。
はっきり言ってこの教えの中にある本質は天国と云う架空でしかないかもしれない餌で教徒を集めようとして自分達がそのグループ外の人より”有利な位置”にいる気になれるというまさに”人間レヴェルの心理”しか見当たりません。
加えていうなら宗教全てそうですが時代を超えて不変のものがありません。本当に正しいものはどの時代に存在しても変わらない教えを説くはずでは?人間社会に影響されてしまう様な神なのだとしたらそれこそたかがしれてると僕は思ってしまいます。
又、これだけ多くの宗教が存在して皆が皆自分が正しいと思ってるあたりはすごく底が浅くて神程の偉大な存在を感じません。これだけ多くある考えの中であれだけ自分の正しさに確信を持てる根拠はどこから来るのでしょう?幻影に見えてしまいます。
でも極論仮に嘘だったとしても人を幸せにできるなら信じる人にとって十分存在価値があるとおもいます。でも勧誘するくらいのレヴェルなら最低限ここで僕があげたような宗教に対しての疑問に納得のいく答えを用意してからにしてほしいってのが個人的意見です(納得いく答えもらったことありません)。
甘い部分だけ吸って本質を考える気がないならそれはそれで自由だと思いますがそのレヴェルで自分たちの信じるものの素晴らしさを叫ばれ勧誘されると正直個人的にしらけてしまいます。
- #94
-
昨日とあるライブに行ったら、会場でそのクリスチャンのイベントのチラシを配ってる人がいました。あまり感じがよくなかったし、強引だったしやっぱり迷惑に感じました。
- #93
-
すもう役者さん、それをいうなら#87だけじゃなくて最初の10レスぐらいから後全部に突っ込まないと。#1の質問に直接答えてないレスはいくらでもあるでしょ?
レスにも流れってもんがある。宗教と戦争の問題が何度かとりあげられてるうちの一つでしょ。#1にしたって「自分達は良い事している、間違っていない」っていう宗教勧誘の被害者なんだから、そういう周りの見えない自己主張が大きくなったのが宗教対立ってことでしょ?
それとも#87を個人的に特別不快に感じたわけでもあるのかな?オ○ムの関係者が読んだら気分悪いだろうけどね。
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