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トピック

びびなび ロサンゼルス
ロスの寿司屋

フリートーク
#1
  • すし
  • 2004/03/02 01:47

ロスのおいしい寿司屋の情報を交換しましょう。私はしぶ長が好きです。おいしくて安いから。皆さんは?

#126

おっ、みんなすっげぇ〜の!
お子様ランチ用の日本語もまぜてね。

#127

「幻探偵」さん:

お話を拝読したしました。現代に於ける文章はなにが主軸か、という事になるんだろうと念います。「今現在に於ける正しい日本語は、今現在の日本語なのです」とお話されておられます。確かに、多数の読者を対象とした媒体に立っておられる方が、私のような文章を指して「正しい」とは云へない、これは諒解しております。私のような日本語では売り上げ低迷は必定でしょう。ただ、およそ「権威」なり「正しい」或いは「間違っている」というものは相対性なのだと念っています。詰りは、私の日本語が「正しい」か否かと同様に、現代の日本語であれ米語であれ、「正しい」か否かは誰にも解らない、相対的な性格を帯びる、これが言語であり、事象なんだと考えています。尤、歴史なり人間の営みの物差を遥か、自分の知らない後方の世界に置ながら、自問自答して視ますと、大きな大河の流れの中にあっては、「己」というものを確立する以外に、私が自分の残る生涯の中で、その存在事由を見い出すことさえ、大きな人生の仕事だと考えているのです。以前お話致しましたが、言語の世界も、アウフヘーベンなんですね。さまざまな文が書き手と読み手によって投げられ、投げ返される中で、新しい何かが構成されていく訳です。

「古典」な名の通り「古典」なのです。ただ私の云う「古典」とは「古典」ではないのです。永劫のものです。古典を学ぶことは、そのまま全体を良しとして受け止めることではない、私もそう念う。唯、旧い、廃れた形の中に埋もれた恐るべき真実を拾い出すことだと信じている者の独りです。例えば、日本の中学生の教科書にも、村上春樹氏の作品を筆頭にした現代小説と、森鴎外氏の作品は併載されている。初めて文章という大きな栄養物、それらを「読む」という挑戦。それは果敢な挑戦なんだろうと想像する訳ですが、それら若い諸君にとっては、現代も古典も無い訳ですね。どちらも初めて読む、初めて触れる、世界でしょう。ここで相対化するという問題を求められる訳なんですね。

「まぼろし探偵」さんも、後段、この相対化に触れておられますね。
まさしくその通りなんです。であるなら、如何が処世すべきか、己のけじめをどこに借定かによるのではないでしょうか。現代の活きた日本語でそれは宜しいし、私のような旧びたそれでもよろしい。

卑近な例を持ち出させて戴きますと、私は珈琲も好きなんです。村上春樹氏の文は、軽いアメリカンでしょうか。しかし、その喉越しは非常に軽やかなものです(氏の森羅万象を視る冷ややかさとも思える味)。しかし、飲み干す内に苦味がじわじわと拡がってくる。それは軽やかで冷ややかな文体にも、他者に対する暖かい眼差しが、苦味となってくるようにです。これとは正反対に、私は日本の『大黒屋』の珈琲豆がいたく好きで、必ず買ってきては戴いているのですが、これは重い訳です。煎れて漂うのは、深みはあるだろうけれども、老人には手強い鉛色のような重さが視覚に飛び込んで来ます。けれども飲み行く内に、これが非常に軽やかなんですね。清涼水のような心地よさ、これが古典かも知れません。珈琲にも、日本茶にも、紅茶もそして中国茶にも、それぞれ多種多様な味わいがある。そしてこれらも相対化を免れ得ない、同様にそうでしょう。

ただ私は、「私」とは何であろうか、という問い掛けを、常時持って、私の文をいつも書くように心しております。それは「まぼろし探偵」さん他仰るように、「時代錯誤」的であるかも知れませんし、旧びたものかも知れない。

然し乍ら、「まぼろし探偵」さんでも私でも、絶えず、「私」「私たる事由」を歩みの中で実証かさせ物象化している訳です。

「私である為に」ですね、まさしく。

あとは「読み手」に投げらた問い掛けになるのでしょう。

#128

「飛脚」さん:

お初にお目に懸ります、そしてお話を拝読致しました。

「飛脚」さんが仰られますように、電脳網の世界にあって、掲示板もそのような雛形に、新しい装いを求め、こんにちのものがあるのでしょうね。

ただ、私が指摘したいのは、所謂、「飛脚」さんが指摘しておられる掲示板というものが現在の枠に止まるものなのか、という問題なんです。

日本には『2ちゃんねる』というものがあるとの指摘を受け、検索して大まかに読んでみました。多分、将来大きく公権力の制限がかけられてくるんだと希います。掲示板は国家権力にとっては「好ましからざる」存在になりつつ、或いはなっているのかも知れません。「まぼろし探偵」さんもお触れになられておられますように、「気軽に」「愉しく」「自然体」でとのお話、私にも異論がありません。他稿でも触れさせて戴きましたが、日常の営みの中で、さまざまな話題がございます。「愉しく」「朗らかに」会話を楽しむということは私も希うことです。ただ「愉しい」「朗らか」であるが為には、「緊張感」なり「威儀を正す」という精神的世界に裏付けられませんと、生きてこないのではないでしょうか。弓の道で云う「残心」です。掲示板という出逢いの場を、今参加している人々、そしてこれから参加してくる方々、他稿でも触れましたが、「個」というものを以て望みませんと、「自由奔放」だけで参りますと、隙が出て参ります。その隙を窺っている、大きな権力というものがある。それに私達「民草」がいかにして、この言論の装置を護り発展させてゆくか、ほんとうは今問われているんだと念います。
思想信条は違うとも、嗜好がまた違うとも、育てて行くんだと云う構えですね、これは心のどこかに持っていたいものです。


処世(TPO)ですね、これは大切な社交則です。まさしく仰る通りです。装いというものにも通じますが、ラ・ブレアを最近日本人の若い方々がお歩きになっている光景をよく眼に致します。「格好いいなああ」と想い乍ら、ですが、こういう、爺さんもいるのです。彼等は彼等なりの処世(TPO)があるんだと希うんですね。それと同様に、早暁、冷水を浴び、木刀を一振し、己を正して、和装で休日を過ごす、私のような者もいる訳なんです。

御助言にありましたように、TPOはいたく大事な事です。そこには「私の考えるTPO」があるように念います。

この掲示板で引き続き、御教導のほうお願いいたします。

#129

もし間違っていなければMitsuwa Torrancceの近くにある寿司屋は「かんたろう」ではないでしょうか?

#130

>Traceさん、御指導などとんでもない!
なるほどそういう見方がありますか。やはり物事、様々な方向から見なければいけませんね。また、点で捕らえるだけでなく、線で見るというか・・・、瞬時の点ではなく営みの線を語っているようにも感じました。また、勉強させて頂きます。

さて、Traceさんも私もどうやらトピ(主題)から外れているようです。トピ主さんにここはお返しして鮨やさんの話に戻しませんか?

#125さんの言っているのが「かんたろう」だとすれば私も好きですよ。タコに柚子コショウと、あとカニの味噌汁はいけますね。

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