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「あおもり歴史トリビア」第624号(令和6年10月25日配信)

「あおもり歴史トリビア」第624号(令和6年10月25日配信)

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〈青森市メールマガジン〉
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こんにちは。文化財遺産課の児玉です。青森市内には、「再葬土器棺墓」と呼ばれる、埋葬や風葬などで遺体を朽ちさせた後、骨のみを取り出し、土器の中に収納して埋葬する特異な墓が数多く出土しています。このような土器棺墓は、縄文時代後期前半に多く、青森県を中心に分布しています。

今回は、再葬土器棺の研究史について、紹介したいと思います。縄文時代の再葬に関する調査・研究の始まりは大正時代までさかのぼります。大正4年(1915)、青森市浪岡大字北中野に所在する天狗岱遺跡で開墾中に、人骨を納めた土器が発見されました。この土器に注目した東京大学の笠井新也氏が大正6年9月に発掘調査を実施、翌年『考古学雑誌』第9巻第2号に発表し、その葬法は、洗骨式であったと指摘しています。

昭和8年(1933)11月、青森市大字久栗坂に所在する山野峠遺跡より、旧野内村の道路改修工事が行われ、道路の西側で2個、東側で3個の土器棺が発見されました。その報を受けて東北大学の喜田貞吉氏と県教育課長であった佐々木新七氏が調査を実施、翌年『歴史地理』第63巻第6号に発表し、縄文時代の再葬が注目されるようになりました。

その後、しばらく再葬に関して注目されることはありませんでしたが、慶應義塾大学の江坂輝弥氏が昭和43年4月『北奥古代文化』創刊号に発表した「縄文文化後期における改葬甕棺墓の研究」を契機に、土器棺墓を主体とした再葬に関する意見が多く出されるようになりました。

同年6月、江坂氏は青森県平川市唐竹(旧平賀町)に所在する堀合I遺跡の発掘調査で土器棺を発見、この時の調査に参加した青森山田高等学校の葛西勵氏は江坂氏と面識を得て研究を引き継ぐようになりました。やがて、葛西氏は、山野峠遺跡や堀合I遺跡など石棺墓と土器棺墓が併存する遺跡を調査し、両者の関係から石棺墓を再葬用の一次葬施設であると結論づけ、平成14年(2002)にはこれまでの研究成果を結実させた『再葬土器棺墓の研究』を上梓しました。

昭和53年(1978)5月に発見された青森県三戸郡五戸町中市(旧倉石村)の薬師前遺跡では、円形の土坑内から良好な保存状態で骨が収納された3個の土器棺が出土し、東北地方北部の再葬の実態がより具体的に明らかとなりました。
次回以降は、青森市内の再葬土器棺墓を中心に紹介したいと思います。

(文化遺産課 児玉)


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青森市新町一丁目3番7号
TEL:017-732-5271
電子メール: rekishi-shiryo@city.aomori.aomori.jp

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