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「あおもり歴史トリビア」第616号(令和6年8月30日配信)

「あおもり歴史トリビア」第616号(令和6年8月30日配信)

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〈青森市メールマガジン〉
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みなさん、こんにちは。文化遺産課の石戸谷です。

毎年旧暦8月1日は「八朔」とも呼ばれ、今年は9月3日です。この日、津軽地方では、豊作を祈願して岩木山を登拝する「お山参詣」(「ヤマカゲ」ともいいます)が行われます。
登山囃子にあわせて「サイギ サイギ」と唱えながら、大きなのぼり旗やヒバのカンナガラ(鉋殻)の御幣を持って、麓の岩木山神社を目指す様子を、テレビなどで見たことがある人も多いと思います。

青森市周辺からの事例は、「あおもり歴史トリビア」第232号でも紹介していますが、私が平成13年(2001)に調査した横内地区の昭和初期の事例では、お山参詣に参加する若者たちは、出発する1週間前から神社に泊まって男だけで炊事をし、横内川で何度も水垢離(みずごり)をとる生活をしてから、白装束で岩木山をめざしました。これは祭事にあたっての「精進潔斎」を意味し、神社での炊事は日常生活と火をわける「別火」にあたります。

さて、お山参詣では、山頂から見る日の出、いわゆる「御来光」に向かって柏手を打ち、登山囃子を奏でて遥拝します。例年、テレビや新聞等では、御来光が見えたかどうかがこの行事の最大の関心事のように取り上げられますが、この御来光遥拝に関して、岩木山信仰研究の第一人者、小山隆秀氏による興味深い論考があります。
そもそも江戸時代には、8月1日に僧侶と神主が山頂で行う祈祷が重視され、山頂からの御来光遥拝の記録は確認できないというのです。明治期から昭和初期にかけての記録でも、山頂からの御来光に関する記事は見当たらないそうです。
昭和20年頃の車力村(現つがる市)牛潟地区の事例では、山頂での御来光遥拝は信仰心が篤い人の行為であり、実際に遥拝する人は少なかった。必ず拝めとも指導されなかったので、日中に登る人も多かったとしており、昭和30年代頃の中津軽郡での体験談では、津軽地方の男たち全員が、一度に狭い山頂に立つことはできないため、混雑しないような時間帯に登る人もいたとしています。

その一方で、昭和20年代頃〜30年代頃の細越地区からのお山参詣では、山頂で日の出を見て、万歳したことが報告されており、一部の人たちの間では御来光遥拝のような行為が行われていました。小山氏によると、山頂からの御来光遥拝は、昭和40年代頃から記録され始め、次第にマスコミ報道や観光パンフレット等で取り上げられることで、この行事の重要な目的のひとつとなったのではないか、としています。

お山参詣では、岩木山への登拝と御来光遥拝が一体かのように思われていましたが、どうもそうではないことが明らかになってきました。では、この御来光の遥拝習俗は、いつ頃から始まったのでしょうか。今後の研究の進展に期待したいと思います。

今回の執筆に当たっては、小山隆秀「岩木山「お山参詣」における御来光遥拝と草木採取について」(『真澄学』第6号、2011年、東北芸術工科大学東北文化研究センター)等を参考にしました。


《問合せ》
青森市民図書館 歴史資料室
青森市新町一丁目3番7号
TEL:017-732-5271
電子メール: rekishi-shiryo@city.aomori.aomori.jp

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  • 掲載日 : 2024/08/29
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