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[びびなび] 青森市 より
「あおもり歴史トリビア」第625号(令和6年11月1日配信)
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「あおもり歴史トリビア」第625号(令和6年11月1日配信)
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〈青森市メールマガジン〉
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みなさん、こんにちは。室長の工藤です。
10月23日・30日、中央市民センターの市民スクールで講師を務めてきました。テーマは「石碑で見る歴史〜合浦公園の石碑めぐり〜」というもので、23日は市民センターの研修室で講義、そして一昨日の30日は合浦公園に出向き受講された市民のみなさんと園内を歩きました。お天気にも恵まれ、しかも赤や黄色に色づいた園内の木々の葉に目をやりながら、楽しい時間を過ごすことができました。
合浦公園の石碑めぐりはこれまでも経験があるので、気持ち的には余裕を持って講義資料を作成していたのですが…これまで見落としていた事実を発見しました。今回はそれをご紹介します。
合浦公園には明治25年(1892)に俳人・浅田(不二亭)祇年がこの年設立した有香社が松尾芭蕉200年忌を記念して建てた芭蕉の句碑があります。園内には30を超える石碑等があり、多くは公園中央部から北側にあります。そうしたなか、この碑とその隣にある明治27年に、おなじく有香社が建碑した浅田祇年の句碑だけが公園南東部に配置されています。
しかも碑のある辺りは日露戦争後の明治39年(1906)に園地となった区域だそうで(中園美穂「合浦公園通史6」)、当初の公園域ではなかったことになります。ですから、このふたつの碑は後に移設されたものでなければ、当時の公園域外に配置されていることになるのです。
さて、それから20年ほどが過ぎた大正3年(1914)9月23日付『東奥日報』は、有香社が合浦公園内に「芭蕉翁及び不二亭祇年翁の二碑を建設」するために社長の斎藤祇舟氏らが尽力し、いよいよ9月20日に「竣工」したと報じています。おそらく、有香社の20周年を記念して建碑をしようとしたのでしょうけれど、有香社はすでに「芭蕉翁」「不二亭祇年」を建てており、大正3年の時点では配置場所もすでに園内になっています。
さらにいうと、現在大正3年に建碑が明らかなふたりの碑は園内には現存しません。この両者の結びつけるとすれば、たとえば明治20年代に建てたふたつの碑は実は園外の「どこか」にあって、それを大正3年になって「園内」に移設(これを「竣工」といえるかどうかという問題はあるでしょう)したとすれば、一応の説明はできます。
ところが話はうまくまとまりません。明治32年(1899)に執筆されたとみられる『東北六県共進会誌』という記録のなかに合浦公園に関する記述があり、「園内」に「芭蕉塚等あり」と記されているのです(芭蕉塚は芭蕉の句碑とみていいでしょう)。この芭蕉塚は明治25年の句碑のことなのでしょうか(そうだとすると「園内」は執筆者の誤記)。
そうでないとすれば、この当時の合浦公園内にこれとは別に芭蕉の句碑があったことを立証する必要があります。合浦公園の芭蕉の句碑…建碑の事情は複雑なのです。
《問合せ》
青森市民図書館 歴史資料室
青森市新町一丁目3番7号
TEL:017-732-5271
電子メール: rekishi-shiryo@city.aomori.aomori.jp
青森市メールマガジンをご利用いただき、ありがとうございます。
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○青森市ホームページ
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Web Access No.
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[登録者]
青森市
[言語]
日本語
[エリア]
青森県 青森市
登録日 :
2024/10/31
掲載日 :
2024/10/31
変更日 :
2024/10/31
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10月23日・30日、中央市民センターの市民スクールで講師を務めてきました。テーマは「石碑で見る歴史〜合浦公園の石碑めぐり〜」というもので、23日は市民センターの研修室で講義、そして一昨日の30日は合浦公園に出向き受講された市民のみなさんと園内を歩きました。お天気にも恵まれ、しかも赤や黄色に色づいた園内の木々の葉に目をやりながら、楽しい時間を過ごすことができました。
合浦公園の石碑めぐりはこれまでも経験があるので、気持ち的には余裕を持って講義資料を作成していたのですが…これまで見落としていた事実を発見しました。今回はそれをご紹介します。
合浦公園には明治25年(1892)に俳人・浅田(不二亭)祇年がこの年設立した有香社が松尾芭蕉200年忌を記念して建てた芭蕉の句碑があります。園内には30を超える石碑等があり、多くは公園中央部から北側にあります。そうしたなか、この碑とその隣にある明治27年に、おなじく有香社が建碑した浅田祇年の句碑だけが公園南東部に配置されています。
しかも碑のある辺りは日露戦争後の明治39年(1906)に園地となった区域だそうで(中園美穂「合浦公園通史6」)、当初の公園域ではなかったことになります。ですから、このふたつの碑は後に移設されたものでなければ、当時の公園域外に配置されていることになるのです。
さて、それから20年ほどが過ぎた大正3年(1914)9月23日付『東奥日報』は、有香社が合浦公園内に「芭蕉翁及び不二亭祇年翁の二碑を建設」するために社長の斎藤祇舟氏らが尽力し、いよいよ9月20日に「竣工」したと報じています。おそらく、有香社の20周年を記念して建碑をしようとしたのでしょうけれど、有香社はすでに「芭蕉翁」「不二亭祇年」を建てており、大正3年の時点では配置場所もすでに園内になっています。
さらにいうと、現在大正3年に建碑が明らかなふたりの碑は園内には現存しません。この両者の結びつけるとすれば、たとえば明治20年代に建てたふたつの碑は実は園外の「どこか」にあって、それを大正3年になって「園内」に移設(これを「竣工」といえるかどうかという問題はあるでしょう)したとすれば、一応の説明はできます。
ところが話はうまくまとまりません。明治32年(1899)に執筆されたとみられる『東北六県共進会誌』という記録のなかに合浦公園に関する記述があり、「園内」に「芭蕉塚等あり」と記されているのです(芭蕉塚は芭蕉の句碑とみていいでしょう)。この芭蕉塚は明治25年の句碑のことなのでしょうか(そうだとすると「園内」は執筆者の誤記)。
そうでないとすれば、この当時の合浦公園内にこれとは別に芭蕉の句碑があったことを立証する必要があります。合浦公園の芭蕉の句碑…建碑の事情は複雑なのです。
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