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「あおもり歴史トリビア」第567号(令和5年8月25日配信)

「あおもり歴史トリビア」第567号(令和5年8月25日配信)

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〈青森市メールマガジン〉
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こんにちは。文化遺産課の石戸谷です。
今回は、行事が旧暦で行われていた昭和30年代以前の、伝統的なお盆の行事について紹介したいと思います。
お盆は現在、新暦8月に行われていますが、本来は旧暦7月の行事です。

旧暦7月7日(新暦では月遅れの8月7日)は、津軽地方ではナヌカビ、南部地方や下北地方では七日盆といい、盆の始まりです。県内どこでも「七回水浴びして七回飯を食う」といって、水浴びをし、赤飯を食べました。宮田では、子どもたちが川で水遊びをしながらネブタを川に流し、東岳周辺では、この日に水浴びをすれば風邪をひかないといわれたそうです。盆を迎えるにあたっての禊(みそぎ)を意味したものであろうと考えられています。
この日はまた、墓の草取りや掃除をして、井戸さらいをする日でもありました。奥内や六枚橋など海が近い集落では、浜から新しい砂を持ってきて墓に敷きました。

お盆の精霊は、仏壇とは別の、臨時の棚を設けて祀るしきたりがあり、これを盆棚といいます。後潟では、4本の柱を立てて棚を作り、そこに位牌や供物などを供えました。小館では、仏様は盆棚に飾ったハマナスの数珠に乗って降りてくるといったそうです。キュウリとナスに足をつけて馬と牛とする風習は、現在でも行われていますが、江戸時代の弘前では15日に「きうり(きゅうり)の馬と茄子のうし」を供えたことが、安政3年(1856)に記された「私家年中躾帳」という資料に記されています。
お盆に飾る花は盆花といって、津軽地方ではキキョウ・アワバナ・ミソハギが用いられます。これらは山から採ってくるものとされ、高田では、花を採ってくることは、子どもたちの役目でした。盆の精霊は、この花とともにやって来るものと考えられます。

墓参りは、13日から16日まで毎日行く地域が多く、20日の二十日盆まで行くところもあります。お盆の墓参りを戸門・横内・合子沢・油川などではホゲといいましたが、これはホカイが転訛(てんか)した言葉です。ホカイ(行器)とは、食べ物を運搬するための木製の容器のことですが、元来は神霊を入れて持ち歩くものだったそうです。
ホカイから帰り、家の前で焚く火を迎え火といいます。合子沢では、ホゲした後に家の門口で藁や杉の葉で焚いた火を見て、先祖がやってくるといったそうです。このほか、墓前で火を焚いた地区もありますが、陸奥湾沿岸地域では火を焚くのはまれでした。

津軽地方では、お盆中に「水っこをあげる」といって本家や親類を訪ねて、仏様に水を注いだ小さな湯飲みを供えます。水がこの時期の重要な供物でした。
16日は送り盆といって、供物を流す日とされます。津軽地方では、「盆の仏様は3日しか家にいない」とも言われ、野尻では、朝早くに薦(こも)に包んで川に流しました。

民俗学では、お盆という名称を精霊への供物をのせる器である「盆」が行事自体を指すようになったものと考えています。お盆は仏教行事の印象がありますが、一つ一つの内容に、わが国の固有信仰に基づく先祖祭りの痕跡が残っているのです。

※今回取り上げた事例は、『青森市史叢書』民俗調査報告書第1集〜第6集などを参考にしました。


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